イエスとして歩く“聖書オープンワールド”体験『I Am Jesus Christ』プレイレポート

約2000年前のユダヤの大地にタイムスリップし、イエス・キリスト本人としてその足跡をたどっていく――そんな前代未聞の一人称オープンワールド風シミュレーション『I Am Jesus Christ(私はイエス・キリストです)』が、Steamで販売中です。 実際にプレイしてみたので、購入を迷っている方の判断材料になるよう、ゲームの魅力と「新約聖書的にどうなの?」という視点も交えつつレポートしていきます。4月10日時点ではキャンペーン価格1368円と、ボリュームを考えるとなかなかお得な設定になっています(価格は変動の可能性あり)。 本作のストーリーは新約聖書に収められた四つの福音書――マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ――をベースに構成されています。ガリラヤ地方の小村ナザレで成長したイエスが、三十歳前後でヨルダン川において洗礼者ヨハネから洗礼を受け、公に教えと奇跡を行う「公生涯」に踏み出してから、エルサレムでの十字架刑と復活に至るまで、約三年とされる宣教の歩みをなぞる構成です。 ストーリーは一直線、でも宗教色は思ったより控えめ 物語の流れはかなり一本道で、自由な選択肢はほとんどありません。舞台はローマ帝国支配下にあった1世紀前半のユダヤ地方。イエスはガリラヤ湖周辺の町カペナウムなどを拠点に説教と癒しの業を行い、やがてエリコやオリーブ山を経てエルサレムへと上り、過越祭の時期に最後の晩餐、逮捕、裁判、ゴルゴタでの十字架刑、そして復活へと進んでいきます。 ゲーム内では「次にどこへ行けばいいか」「何をすればいいか」が常に画面上で示されるため、迷子になることはまずありません。 ゲームの始まりは、イエスが天使の告知を受けたあと、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けるべく旅立つ場面から。ナザレの素朴な家並みや、乾いた大地に広がる荒野、ヨルダン川の流れまで、当時のパレスチナの風景を意識したロケーションが美しいグラフィックで描かれています。 聖書そのものは、天地創造からイスラエルの歴史を描く旧約聖書と、イエスの誕生・死・復活、弟子たちの宣教、黙示録の預言を収めた新約聖書の二部構成です。 イエスが生きたユダヤ社会では旧約聖書の律法と預言が深く浸透しており、「やがて現れる救い主(メシア)」への期待が共有されていました。 本作は、そうした時代背景や聖書の内容を、冒頭から一気に解説するのではなく、イエスとして旅を進める中で、要所要所のイベントに絡めて丁寧に説明してくれます。 そのため、聖書を読んだことがないプレイヤーでも「いきなり専門用語の荒波に放り込まれる」ような感覚は少なめです。ただし、イエスについてまったく知識がない場合は、導入部の説明がやや駆け足に感じられるかもしれません。 奇跡ミニゲーム満載の“聖書アクション”が楽しい イエスが行う治癒、悪霊払い、パンの増加や水上歩行といった奇跡には、ゲーム内で「信仰力」が必要になります。ミッションを進めていくと信者数と信仰力が増え、より大きな奇跡を扱えるようになる、というRPG的な成長要素が用意されています。 ミッション自体は福音書のエピソードを順番に追っていけば自然と達成できる設計で、オープンワールドといっても広大なマップをガチ探索するタイプではなく、「ウォーキングシム+イベント」という印象です。 奇跡シーンには、それぞれ専用のミニゲームが用意されているのが本作の目玉。病人を癒すときは患部をなぞって傷を消したり、悪霊払いでは魂を光へ導いて闇から逃れさせるミニゲームが入り、ときには悪魔本人と対峙するシーンもあります。 こうした場面では、創世記の天地創造や旧約・新約を通じた名場面がさりげなく引用され、問題を解くにはゲーム内で聖書箇所を読む必要があるなど、「自然と聖書に触れさせる」導線設計が巧みです。 イエスの生涯とその言葉にインスパイアされたインタラクティブな旅を通して、キリスト教信仰の根っこにある物語――「神の国」の宣言、赦しと和解、弱い者へのまなざし――に触れられるのもポイント。今日まで世界中の無数の人々に影響を与えてきた価値観や出来事への理解を、ゲームプレイを通じて少しずつ深めていくことができます。 さらに、メインの奇跡以外にも、鬼ごっこ風の脱出イベント、悪霊を追い詰めて捕まえるシーン、魚を釣り上げるミニゲームなど、ちょっとしたアクションが要所で差し込まれています。 単に聖書の文章を読むだけの「お勉強ソフト」ではなく、ちゃんとゲームとして飽きさせない工夫が随所に盛り込まれているのが好印象でした。 聖地を歩くビジュアル体験:町並みと人々の再現度 グラフィックの美しさは、没入感を支える大きな要素になっています。ローマ支配下のユダヤという時代設定を意識した街並みや荒野、ヨルダン川の流れ、エルサレム神殿の壮麗な佇まいが、現代の3Dグラフィックで再構成されており、ただ歩いているだけでも「当時の空気」を感じられるような世界観になっています。 登場人物も、イエスの養父ヨセフや母マリア、洗礼者ヨハネ、十二使徒たちが、それぞれ個別のモデルでドラマチックに描写されています。史料的に分からない部分は当然クリエイティブな補完ですが、「こういう姿だったのかも」と想像をかき立ててくれるビジュアルです。 また、ゲームのそこかしこで、シーンに対応した聖書の一節が朗読とともに提示され、カットシーンと結びつけて見せてくれる構成も特徴的です。プレイヤーは単にイベントを消化するのではなく、「この場面を形作っている言葉」を一緒に受け取りながら旅を進めていくことができます。 全体としてテンポよく進むゲームで、クリアまでの総プレイ時間は極端に長くはありませんが、ガリラヤ湖畔やエルサレムの街をのんびり散策したり、景色を眺めながら歩くだけでも楽しめるので、寄り道しながら遊ぶのもおすすめです。 新約聖書視点での“今後の見どころ” ここまでの紹介では、ネタバレを避けて「イエスと弟子たちの出会い」までに留めました。このあと待っている新約聖書的ハイライトを、ゲーム的な見どころという観点から少しだけ挙げておきます。 (1)律法学者たちとの対立 新約聖書はイエスを「神の子」と呼び、旧約聖書で預言されてきたメシア(救い主)として描きます。イエスは「神の国が近づいた」と宣言し、人間の罪と神との断絶を自らの十字架の死と復活によって背負い、神と人間の関係を回復する方として語られます。 一方、同じ神を信じるユダヤ教の世界にも、律法学者やパリサイ人、祭司長たちなど、解釈の違う複数のグループが存在しました。彼らはモーセの律法を厳格に守ることを重視しており、「罪人」とみなされた人々と食卓を囲み、安息日の解釈を揺さぶるイエスのあり方は、自分たちの教えや権威を脅かす存在として映ることになります。 福音書によれば、イエスを十字架刑に処する最終的な法的権限を持っていたのは、ユダヤを支配していたローマのユダヤ総督ポンティオ・ピラトであり、ローマ側の裁判と判決によって十字架刑が執行されました。しかし、その背後では、祭司長や律法学者たちがイエスを訴え、群衆を扇動して「十字架につけろ」と叫ばせた、というのが福音書の描く構図です。 本作がその政治的・宗教的な緊張関係と対立を、どこまでドラマとして掘り下げるのかは大きな見どころと言えるでしょう。 (2)ユダの裏切り 十二使徒の一人イスカリオテのユダは、イエスを当局に売り渡した裏切り者として知られていますが、福音書では彼の生い立ちや内面はほとんど詳しく語られていません。そのため、後世の物語では「なぜ彼はイエスを裏切ったのか?」がしばしば創作のテーマになってきました。エンタメ要素も含む本作で、ユダがどのような人物として描かれ、どのような心情の変化を経て裏切りに至るのか――原典の余白をどう埋めるのかは、非常に気になるポイントです。 (3)マグダラのマリアをはじめ、イエスを慕う女性たち イエスの母マリアだけでなく、イエスに癒やされ、救われた女性たちの存在も新約聖書では重要な役割を担っています。なかでも象徴的なのが、磔刑ののちイエスの遺体に香油を塗るために墓を訪れ、空の墓と復活の知らせに最初に出会った人物として描かれるマグダラのマリアです。福音書によれば、イエスから直接復活を予告されていたはずの弟子たちは、十字架刑のあと失意と恐れに沈み、すぐには復活を信じられませんでした。 一方で、マグダラのマリアをはじめとする女性たちは、悲しみと敬愛ゆえに最後まで遺体に仕えるため墓へと向かい、その場で復活の最初の証人となります。弟子たちと彼女たちの対比を、本作がどのような演出で描くのか――ここも映像作品としての腕の見せどころになりそうです。 まとめ:聖書入門にもネタゲーにもなりうる“聖書ウォーキングシム” 『I Am Jesus Christ』は、福音書の物語をそのまま完璧に再現した「神学教材」というより、イエスの生涯の主要なエピソードをゲーム的に体験させる「聖書ウォーキングシム+ミニゲーム集」として楽しむタイトルです。新約聖書の世界観に興味がある人はもちろん、「話題のネタとして触ってみたい」「宗教ものだけど、ちゃんとゲームとして遊べるの?」という人にも、一度プレイしてみてほしい作品です。

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