※本稿は、『スティール・ボール・ラン』の登場人物、ジャイロ・ツェペリの素性について触れています。原作コミックを未読の方はご注意ください。(筆者) 荒木飛呂彦の漫画『スティール・ボール・ラン』(集英社)がアニメ化され(現在、Netflixにて「1st STAGE」が配信中)、連載終了から約15年経ったいま、あらためて大きな話題を呼んでいる。 『スティール・ボール・ラン』は、2004年から2011年にかけて、「週刊少年ジャンプ」および「ウルトラジャンプ」にて連載された異能バトルコミックで、荒木飛呂彦のライフワーク「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズの第7部にあたる作品だ。 時は19世紀末。総距離約6,000キロにもおよぶ、乗馬による北米大陸横断レース「スティール・ボール・ラン」の参加者の中に、ネアポリス王国の死刑執行人ジャイロ・ツェペリと、元天才騎手のジョニィ・ジョースターがいた。 ジャイロの目的は、「世界的なレースの優勝」という栄誉を勝ち取り、ある無実の少年を助けるためであり、一方のジョニィの目的は、ジャイロが習得している「回転」の秘密をつかんで、下半身不随となっている自らの身体を治すためだった。 ■ジャイロ・ツェペリにはモデルがいた さて、この『スティール・ボール・ラン』の“アニメ化効果”とでもいうべきか、荒木飛呂彦が全面帯(本の表紙全体を覆うような幅広な帯)にカラーイラストと推薦文を寄せている、安達正勝の『死刑執行人サンソン―国王ルイ十六世の首を刎ねた男―』(集英社新書)にも注目が集まっているようだ。 同書は、かつて6代にわたりパリの死刑執行人を務めたサンソン家の4代目、シャルル=アンリ・サンソンの波乱に満ちた人生を描いた評伝であり、荒木の推薦文によると、「ぼくのSBR(『ジョジョの奇妙な冒険』第7部)のジャイロ・ツェペリをご存知? 実をいうとこの“サンソン”が、彼のモデルなんです」とのこと。そう、ジョニィ・ジョースターの“相棒”にしてメンターという役割で物語を動かしていくジャイロ・ツェペリは、このシャルル=アンリ・サンソンの存在なしには、生まれなかったキャラクターなのである。 ■国王の首を刎ねた男 シャルル=アンリ・サンソンは1739年生まれ。前述のように、死刑執行人の家柄を継ぐサンソン家の4代目だが、刑罰の執行には熟練した技の習得だけでなく、人体の構造も熟知しておく必要があり、サンソン家では、代々「副業」として医業も営んでいた。 つまり、「死刑執行人にして医師」という存在には、常に生と死がつきまとうわけだが、多くの人々は、その医師としての顔を忘れ、サンソン家の人間(だけでなく死刑執行人全般)を忌まわしいものだと思っていた。その嫌悪感の裏には、もちろん、犯罪者が相手とはいえ、“人が人を殺すこと”への潜在的な恐怖があったものと思われるが、では、戦場で敵を殺した兵士や、決闘で相手を倒した者が称賛されるのはなぜか。自分も兵士や決闘士と同じような存在であり、単に「職務」として、法が裁いた犯罪者を処罰しているだけではないのか。その葛藤が、家業に対する誇りとは別に、終始、シャルルを苦しめることになる(そのくせ、当時の“人々”は、公開処刑を見世物的な“娯楽”として消費してもいたのである)。 そして、彼の死刑執行人としての人生のピークは、1793年の国王ルイ16世の処刑ということになるわけだが(このことにより、彼は歴史に名を残すことになった)、詳しくは同書を読まれたい。 ■無実の少女を前にした死刑執行人は…… ちなみに、『スティール・ボール・ラン』の読者(およびアニメ視聴者)が注目すべきは、革命後に起きたある少女にまつわるエピソードだろう。その、「十八歳ということだったが、どう見ても十三、四にしか見えなかった」少女は、逮捕されたある女優(少女の雇い主)と「一緒にいた」というだけで、死刑の判決を受けたのだった。 戸惑うシャルルをよそに、おそらくはなんの罪も犯していないであろうその少女は、「自分からすすんでギロチンの横板の上に身を横たえ」た、というのだが……。 このエピソードが、『スティール・ボール・ラン』の物語の中で、ジャイロ・ツェペリという漢(おとこ)を突き動かした動機として「転用」されているのは明らかである。 ■なぜ死刑執行人の人生は「物語」になるのか ところで、このシャルル=アンリ・サンソンの人生をもとにした傑作漫画が、『スティール・ボール・ラン』の他にもう1作あるのをご存じだろうか。坂本眞一の『イノサン』だ。こちらはモデルとしてではなく、シャルル本人が主人公として描かれており(「出典」として、『死刑執行人サンソン』の書名がクレジットされている)、デジタル技術を駆使して構築された耽美的な世界は圧巻という他ない(のちに『イノサンRouge』という続編も描かれた)。 いずれにせよ、『地獄楽』(賀来ゆうじ)や『首斬り朝』(小池一夫・小島剛夕)などに出てくる「山田浅右衛門」(個人名ではなく、江戸時代の死刑執行人・山田家当主の名)についても同様のことがいえるのだが、洋の東西を問わず、死刑執行人たちの人生には、正義と悪、倫理と禁忌、そして、生と死の狭間で苦悩する人間のドラマがある。だから、「物語」が生まれるのだ。 ジャイロ・ツェペリという清濁併せ呑むトリックスターがいかにして生まれたかを知るためにも、評伝(『死刑執行人サンソン』)の併読をお勧めしたい。