田中角栄がゲイバーのママに頼んだ「誕生日プレゼント」が意外すぎた…昭和の政治家が熱中した「赤坂遊び」のスゴさ

■赤坂は政治家と芸者とゲイの町だった 昭和の頃、赤坂は料亭の町だった。かつて田町通りと呼ばれ、今やエスプラナード赤坂になった赤坂見附駅を出た通りを中心に100軒近い料亭が営業していたのである。赤坂には見番もあり、芸者は400人近くいた。夕方になると日本髪、着物を着た芸者衆が人力車に乗って料亭の前に着く。ほぼ同じ頃には永田町から黒塗りに乗った長老政治家が黒塀の前で車から降りる。そうした姿を日常的に見ることのできる町だったのである。 昭和から令和の現在まで、赤坂でゲイバーを営むオーナーママ、おはるさんは「赤坂から粋な風情がなくなった」と嘆く。 「悲しい、ほんと悲しいわ。赤坂は粋な町だったの。黒塀に囲まれた料亭から、私たちの夜が始まる……、そんな町でした。川崎、茄子、千代新、大野、中川……。全部なくなりました。自民党の先生方は派閥ごとに行く料亭は決まっていたんです。田中派なら千代新、中曽根派なら茄子。料亭に行けば政治家の先生たちと遊びました。 安倍(晋太郎 安倍総理の父)先生には特に可愛がっていただきました。安倍先生や芦田伸介さんと一緒にお座敷麻雀をやったこともありました。麻雀の後は芸者をあげて遊びました。赤坂は政治家と芸者とゲイの町だったんです。それが今ではファストフードとカフェとコンビニでしょう。様変わりしました。私は現役よ。赤坂から黒塀はなくなりましたけれど、ゲイバーは永遠です」 ■「原田啓二」が「おはるさん」になるまで 町の変化を語るのは、1974年に前身のゲイバーを創業してから、この道52年になる現役最高齢のゲイ、おはるさんこと、原田啓二だ。84歳の現在、彼女は赤坂TBSの向かい側のビルで「ニューはる」を経営している。彼女の源氏名は春駒、またの名は「赤坂のセイウチ」。セイウチはアシカ、アザラシ、オットセイと違い、口まわりの筋肉が発達していて、口笛も吹けるし、シャボン玉を膨らませることができる。セイウチは恐ろしいほどの吸引力を持っており、肺活量は成人男性の7倍にもなる。 おはるさんは深夜まで店にいる。歌って、踊って、きわどいジョークを連発して、なおかつ成人男性の7倍の吸引力で、昭和から平成生まれまでの客を楽しませている。 1942年、彼女は日本橋堀留町に生まれた。6人兄弟姉妹の末っ子。色は白くなかったが、愛嬌のある子どもで、母親や兄弟姉妹からは「蝶よ花よ」と大切に育てられた。彼女が小学校に上がる前、父親は愛人をつくって家出してしまう。母親とふたりの姉と4人で暮らすことになった。そこで、母親は子どもたちを連れて熱海へ転居することにした。母親の実家が熱海で旅館をやっていたため、そこに身を寄せることにしたのである。小学生から高校2年生まで彼女は熱海で暮らした。

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