13歳で暴走族、19歳で少年刑務所、35歳で貯金1億円…家も、ベンツも手に入れた男が43歳でロシア軍に入った理由

ウクライナ戦争でロシア軍兵士として戦った日本人がいる。なぜ日本人がロシア軍の義勇兵になったのか。金子大作さんの著書『ロシア軍の日本人兵士 最強の特殊部隊「アフマット」で見た地獄』から、その経緯を紹介する――。(第2回) ※本稿は、金子大作『ロシア軍の日本人兵士 最強の特殊部隊「アフマット」で見た地獄』(講談社)の一部を再編集したものです。 ■軍歌を聴いて育った少年時代 なぜ僕がロシアに渡ったのか。それを説明するために、少し長くなるが半生を振り返りたい。 1975年12月21日、僕は大阪府八尾市で生まれた。父親は寿司屋を営み、朝から晩までどころか、次の日の朝まで働き詰め。一日に一度も顔を合わさないこともザラだった。店を手伝っていた母親とも朝食と夕飯時に顔を合わせる程度で、米屋に預けられた妹は常に不在。一人っ子同然だった僕は保育園が終わると、ひとりで留守番するのが日常だった。 親から愛情を受けた思い出はないに等しいが、そんな孫の境遇を見かねて、祖父が八尾の自宅までたびたび訪ねてきた。祖父は戦時中、特攻兵に志願。出撃する前に終戦を迎えて運よく生き残ったという。幼い頃から子守唄のように祖父の軍歌を聞いたお陰で、今でも僕のカラオケの定番ソングとなっている。 小学校にあがると習い事という習い事は何でもした。エレクトーン、スイミング、書道、相撲、リトルリーグ、絵画教室と、毎日が習い事で埋まった。ただ何より好きだったのは、読書だ。父は子育てに無関心だったが、「小説ならば好きなだけ買っていい」と言ってくれた。本屋で週に1冊のペースで文庫本を買って、片っ端から読み漁った。小学校5年生のときには小松左京や半村良、船戸与一、落合信彦などの作品を読破。同じ小説を5回、6回と何度も読み返した。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加