香りは記憶と結びつきやすい。特定の香りを嗅ぎ、それに結びついている記憶が呼び起こされる現象を、フランスの作家マルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』の描写になぞらえて「プルースト効果」と呼ぶ。特に、記憶よりも先に感情が蘇ることも。葵(内田有紀)が澄晴(寺西拓人)といる時だけ花の香りを感じ、心が強く揺さぶられるのも単なる偶然ではなかった。 葵と澄晴の過去の結びつきが明らかになった『ラストノート』(フジテレビ系)第5話。 10年以上前、調香師だった葵は自社パフュームブランドのプロジェクトで責任ある立場を任されていた。しかし、重圧に耐えきれず葵の心は折れ、それに伴ってプロジェクトも頓挫してしまう。多くの人の夢を自分のせいで潰してしまったという罪悪感が、彼女から花の香りを奪ったのだ。 そのことを打ち明けられた澄晴は、葵が花の香りを取り戻せるように協力を申し出る。自分を暗闇から連れ出してくれた葵に、今度は自らが光を届けたかった。さらには、曖昧な関係だった莉奈(桜井日奈子)にきっぱりと別れを告げるとともに、自分への支配をやめない父・眞澄(佐々木蔵之介)との縁も断ち切った澄晴。 内田有紀が演じる葵は、外見だけじゃなく心までも澄み渡った水のように美しい。その透明さゆえに、人は否が応でも自分自身と向き合わされる。澄晴はそんな葵の隣に胸を張って立てるように、後ろ暗い過去を断ち切り、誠実な自分であろうとしたのではないだろうか。 けれど、そう簡単に過去は断ち切れない。リスクと引き換えにチャンスを掴んだ幼なじみの龍太(草川拓弥)が、強引な手口で絵画購入の契約を取り付けようとしている場面に遭遇した澄晴。怯えていた顧客を逃がすと、龍太のやり方を真っ向から非難する。そこへ社長の新谷(淵上泰史)が現れ、「あなたのやってきたことと、どう違うんです?」と澄晴の心を揺さぶるのだった。 澄晴も葵と出会うまでは、顧客に法外な金額で絵画を売りつける仕事をしていた。その手口はともすれば、龍太よりも悪質だ。孤独や虚しさを抱える女性たちの心の隙間に入り込み、自分に恋愛感情を抱かせた末に契約を結ばせる。彼女たちは澄晴との出会いに希望を見出したかと思えば、その希望ごとどん底に突き落とされるのである。どれだけの女性が人生を狂わされてきたのだろう。 優子(坂井真紀)もその一人だ。澄晴との出会いは、彼女の外見だけでなく、内面までも大きく変えてしまった。葵と澄晴が連絡をとり続けていることに気づいた優子は、2人を偽りの口実で自宅に呼びつける。2人がお互いをどう思っているのか、その反応で確かめようとしたのだろう。異様なほどに明るい優子の口調や態度には、澄晴への執着心や葵に対する嫉妬が滲み出ており、あまりに恐ろしかった。澄晴にフラれても付き纏ったり、葵の元夫である奥田(徳井義美)を使ってまで彼女を澄晴から引き離そうとしたり。どんな理由があったとしても、優子の言動を擁護することはできない。けれど、彼女をここまで追い詰めた一因が澄晴にあることもまた、紛れもない事実だ。 自分のような人間が葵のそばにいてはならないと思った澄晴は彼女に全財産を渡し、警察に出頭する。しかし、警察は現時点で逮捕することはできないとの判断を下した。法の裁きを受け、罪を償うことすら叶わない。愕然としながら、駅に飾られているピオニーの絵の前に辿りついた澄晴の前に現れたのは葵。そこで澄晴が「この絵を描いたのは自分だ」と明かした瞬間、葵の記憶が蘇った。 担当の医師から、澄晴といる時にだけ花の香りを感じるのは、強い感情を伴う記憶と彼が関係しているからではないかと言われていた葵。初めて澄晴と出会ったのは、まさに彼女が幸せの絶頂にいた時だ。自社パフュームブランドのプロジェクトを任された葵は、喜びに胸を弾ませながら、ピオニーの絵の前に立った。そんな葵が抱えていたピオニーの花束から落ちた一輪を拾ったのが、高校生の澄晴だったのである。この奇跡的な巡り合わせに、誰が抗えるだろう。2人を結びつける記憶の扉が開くとともに、ほのかに漂っていた恋の香りもより一層濃厚さを増した。