<日本統治時代に生きた台湾の人々>激動の時代、複雑な思い……日本語世代が伝えたいこと

1945年まで続いた日本統治時代の台湾で、日本の教育を受けた世代のことを「日本語世代」という。 「初めて日本語世代のお話を聞いた時、その美しい日本語に驚くとともに、当時の情景が思い浮かび、まるで、映画を見ているような感覚になりました。私にとって、人生のターニングポイントとなりました」 そう語るのは、浜松市出身で今年9月から政治大学大学院に進学する予定の土山祐実さん。台湾大学在籍中の2020年10月、月に一度、日本語世代が集まる勉強会「友愛会」で、会長の張文芳さんを囲む会に参加して以降、日本語世代への聞き取りを行っている。 「タピオカブームに沸いた高校生の時のことです。台湾は日本に50年間も統治されていたにもかかわらず、なぜ『親日』なのか、どんどん気になってしまって……。ニーハオ、シェイシェイしか知りませんでしたが、高校卒業後の19年、思い切って台湾に行くことを決意しました」 その後1年間、中国語を猛勉強し、台湾大学史学科に入学した。 「それまで、どんなに寂しくても親には電話しないと決めていたのですが、日本語世代の方と初めて出会った日、気づいたら母親に3時間も電話していました。『私はこのために台湾に来たんだ』と思いました」 運命の出会いは、土山さんを変えた。日本語世代の聞き取りが生活上の〝最優先事項〟となった。 「台湾では戦後長らく、日本語や日本統治時代の話をすることは、家族であっても禁止されていました。日本語世代から聞き取りした話を北京語に訳して家族に渡し、親の人生を初めて知った人もいました」 この背景にあったのが、87年まで続いた戒厳令の影響である。 日本の敗戦後、大陸の国民党政府は陳儀を台湾省行政長官に任命、台湾は中華民国の一省になった。だが、日本統治下では見られなかったような汚職や経済不況が起こった。 犬が去って豚が来た─。台湾ではこんな言葉が生まれたが、ついに市民の不満が爆発する事件が起きる。1947年、市民による政治改革を求める「二二八事件」が起きたのだ。その後、反体制派への無差別逮捕や言論弾圧を行う白色テロが起こり、87年まで戒厳令が続いた。 「日本語世代の方のお話とともに、台湾の歴史も正しく伝えていきたい」。そう話す土山さんに協力いただき、2人の日本語世代に直接話を聞くことができた。

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