キャラクターの個性が物語を“ドライブ”させた成功例『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』【小説家・榎本憲男の炉前散語】

小説家で、映画監督の榎本憲男。銀座テアトル西友(のちに銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人など、映画館勤務からキャリアをスタートさせた榎本が、ストーリーを軸に、旧作から新作まで映画について様々な角度から読者に問いかけていく「小説家・榎本憲男の炉前散語」。第18回は、8年ぶりの新作『デッドマンズ・ワイヤー』(公開中)や過去作『ドラッグストア・カウボーイ』(89)、『マイ・プライベート・アイダホ』(91)のデジタルリマスター版上映でも再注目されているガス・ヴァン・サント監督が、初めてアカデミー賞の監督賞にノミネートされた映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)を取りあげる。本作が長年愛され続けている理由はどこにあるのか、物語やキャラクターの設定を軸に、その魅力について考えていきます。 ■“キャラクタードリブン”の典型ともいえる『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』 映画会社で働いていたころ、つきあいのある映画会社の洋画買付担当の女性に、「これから制作される、ある映画のシナリオを事前にもらって読んだが、とてもよかった」と教えてもらったことがありました。独立系の映画配給会社は、セールスエージェントから情報を仕入れ、面白そうだと思った企画については、準備段階でシナリオを入手し、配給権の購入を検討することがあったのです(たぶん、いまも)。とはいえ、シナリオを読んで、買いつけの意欲ががぜん増すということは当時は珍しいことでした(たぶん、いまも)。彼女が狙っていた作品は、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』で、このシナリオを書いたのは、当時はまだ無名の俳優だったマット・デイモンとベン・アフレックでした。 ストーリーのタイプを、プロットドリブンとキャラクタードリブン(筆者注)に分ける分類法があります。プロットドリブンは、明確な葛藤をセットアップし、予期できないようなストーリー展開で魅せるタイプで、一方、キャラクタードリブンは、起伏に富んだ展開はさほどないが、主人公を中心にキャラクターの内面とその変化を丁寧に描くことで物語の説得力を得るタイプ――などと説明されます。もちろん、理想はこの2つの魅力を共に兼ね備えたストーリーです。ただし、キャラクタードリブンが際立った作品では、あえて、プロットの起伏を抑えることで魅力あるストーリーになることがあります。『グッド・ウィル・ハンティング』はその典型でしょう。 シナリオを教える教室で、このキャラクタードリブンを説明するときに、僕は通常とは異なるこんな説明をしていました。 「あなたが書こうとしているストーリーの主人公を誰か他の人に説明してみてください。その主人公の設定だけで、その先の展開を伝えないうちから、『面白そうじゃないか』、という反応を得られたなら、そのストーリーはキャラクタードリブンの要素がたっぷり詰まっていると言えるでしょう」 なぜ、このように定義するのかというと、ストーリーを書こうとする人たちにとっては、こちらのほうが実践的だからですね。では、もう一歩踏み込んで、さらに実践的な問いかけをしてみましょう。『グッド・ウィル・ハンティング』という作品がまだこの世に生まれてないとします。でも、ストーリーはすでにあなたの中にでき上がっています。では、これを製作しましょうとプロデューサーにこのストーリーを売り込んでください(Pitchといいます)。おそらくあなたはまず主人公について話すのではないでしょうか。なぜでしょう? それは実際にやってみるとわかります。 「主人公はボストンの貧民街に住んで、マサチューセッツ工科大学に行き清掃員をしている。けれど、そこの数学の先生よりも頭がよい。しかし、幼年期のトラウマが原因で心を開けない」 ストーリーは1ミリも動いていない段階から、「それで?」と聞き手が身を乗り出すような魅力があると思いませんか。これが、僕がいうところの実践的なキャラクタードリブンの理解です。シナリオの教師によっては、ノンジャンルの人間ドラマ全般をキャラクタードリブンとして分類する人もいますが、それだと、さほどキャラクターの個性で物語が牽引(ドライブ)してないものまで、ここに入ってしまうので、実践としてはあまり役に立たず、分類としてもさほど機能を持たない気がします。ともあれ、『グッド・ウィル・ハンティング』は非常に特異な主人公を登場させ、物語をセットアップします。ストーリーを見ていきましょう。 ■心を閉ざすウィルに、「自己開示」で歩み寄るショーン 数学の教授ランボー(ステラン・スカルスガルド)が学生たちに、廊下の黒板に出しておくから解いてみろと言って難題を出します。マサチューセッツ工科大学は超一流校ですが、そこに通う学生たちでも歯が立たないシロモノで、出題したランボー教授も解ける者がいるとは思っていないようです。それを、主人公のウィル・ハンティング(マット・デイモン)がすらすらと解く。次の授業で、ランボー教授は回答者に名乗り出るように言うのですが、清掃員の彼がそこにいるはずはありません。教授はさらに出題し、ウィルはそれも解いてしまう。ランボー教授がなんとかウィルの居所を突き止めたとき、素行の悪いウィルは、喧嘩が原因で逮捕され留置所にいます。ウィルの才能を開花させようと、ランボー教授はウィルにカウンセリングを受けさせることを条件にウィルの身柄をあずかることにするのですが……。 問題はカウンセリングです。ランボー教授はウィルに一流のカウンセラーをつけるのですが、ウィルはカウンセラーの手法を先読みして侮辱し、セッションを壊してしまいます。なぜそんなことをするのでしょう。それは、あとでわかります。ともあれ、最後の頼みの綱として、ランボー教授は旧友の心理学者・ショーン・マグワイア(ロビン・ウィリアムズ)にウィルを託すことにします。 ウィルはこれまでと同じようにショーンに反抗的な態度をとります。このとき、謎めいたキャラクターだったウィルについてひとつわかることがあります。彼は確かに、他人を分析することにかけては秀でているのですが、自分が分析の対象となることを極端に恐れているのです。そして、自分を防御しようと他人を必要以上に攻撃したり、侮蔑的な態度をとったりします。それに対し、この時のショーンは、これまでのカウンセラーが見せなかったような怒りを露わにします。なぜなら、ウィルがうっかりショーンの亡き妻を侮辱するようなことを言ったからです。 次のセッションでショーンは、知識があることと知っていることはちがうんだ、僕は君の知識には興味がない、それは図書館にいけばわかるだろう、だけど、君自身の話なら聞いてやる(榎本による台詞の要約)とウィルに迫ります。それは、まさしくウィルの急所を突く言葉でした。さらに、次のセッションでショーンは妻との劇的な出会いと、いかに彼女を愛していたかを語ります。つまり、カウンセラーのほうからまず自分を開示したわけですね。その時にショーンが語った妻との出会いのエピソードが秀逸で、またとても重要です。ショーンはずっと前から楽しみにしていたワールドシリーズの決勝戦を見に行く前にふらりと入ったバーで、ある女性に一目惚れし、チケットを友人に譲ってその女性とバーにいたと言うのです。ショーンは、球史に残るホームランを見逃すことになったのですが、まったく後悔していないと語る。 ■就職か、恋愛か…岐路に立たされるウィル さて、この話を聞いているウィルはちょうど新しい恋をしています。相手は、ハーバード大学に通うスカイラー(ミニー・ドライヴァー)です。バーで出会うというのがショーンのケースに似ていますね。スカイラーはいかにも古典的な映画的美女ではありません。けれど、労働者階級のウィルを偏見なく受け入れ、かつウィルの悪友チャッキー(ベン・アフレック)らに下ネタを披露するなど、ノリがいいというか、不思議な魅力があるのです。このスカイラーと対照的な女性を他作品から探すと、思い浮かぶのは『あのこは貴族』(21、岨手由貴子監督)の主人公、榛原華子(門脇麦)でしょう。彼女は家筋のいい裕福な家庭の娘なのですが、そんな自分に相応しい相手でないといけないと決めてかかっています。居酒屋でデートなど無理、関西弁のギャグにギャグで返すようなスカイラーみたいなノリのよさは華子にはありません。 しかし、スカイラーは卒業と同時に西海岸へ行くことが決まっています。それをウィルが知ったときには、ウィルのもとには一流企業からのオファーが舞い込みはじめています。つまり、<ワールドシリーズの決勝戦(一流企業への就職)か未来の妻(スカイラー)か>という選択の葛藤が生まれているわけです。ここにきて、旧友同士だったランボーとショーンが疎遠になった理由もなんとなく想像がついてきます。ランボーは、ウィルの才能に見合った未来を選択させたい。しかし、これに対してショーンは懐疑的です。自分にとって一体なにが大切なのかはウィル自身に決めさせるべきだと、彼は主張します。つまり、ここで、このコラムでいつも取り上げている主人公の“欲しいもの”(want/need)問題につながるのです。 ■ウィルが最後に選択したもの ウィルの“欲しいもの”はなんでしょうか? 彼はその類い稀なる才能を活かしてなにがしたいのでしょう? 実は、とりたててなにもないのです。そこをショーンにズバリ訊かれても、「羊飼いに」などと誤魔化してしまう。解体作業の工事現場で働いているときにウィルはチャッキーにこう言います。 「おれは一生ここで働いたって平気だぜ。近所同士で家族を持ち、ガキを野球に連れて行く」 これに対するチャッキーの答えはこうです。 「親友だからハッキリ言おう。20年たってお前がここに住んでたら、おれはお前をぶっ殺してやる。脅しじゃない本気だ。お前はおれたちと違う。……お前は自分を許せてもおれは許せない。おれは50になって工事現場で働いててもいい。だがお前は宝くじの当たり券を持っててそれを現金化する度胸がないんだ。お前以外の皆はその券を欲しいと思ってる。それをムダにするなんておれは許せない」 つまり、チャッキーの答えはショーンとは逆向きで、マサチューセッツ工科大教授と同方向です。誰もが羨むワールドシリーズの決勝戦のチケットを持っているのなら、俺たちに遠慮せずにひとりで見に行け、というものです。 しかし、ウィルが最終的に選んだのはスカイラーでした。彼女を追ってカリフォルニアに行くところで映画は終わります。つまり、ウィルはショーンと同じ選択をしたわけです。 ■かつては王道だった、物語の着地点としての「愛」 最後に恋愛が選択され、本当の“欲しいもの”として示される。これは商業映画に於いては王道のエンディングでした。ただ、最近は説得力をもたなくなっているようです。『ラ・ラ・ランド』(16、デイミアン・チャゼル監督)のセブ(ライアン・ゴズリング)はミア(エマ・ストーン)が映画のオーディションに合格し、パリに撮影に行くことを心から祝福しますが、彼女に同行する気はありません。彼にはジャズという“欲しいもの”が確固としてあるからです。また、『あのこは貴族』の華子は自分に相応しい男と結婚したものの、その実態を知って離婚し、まったく境遇の違う美紀(水原希子)との友情を得ます。白馬に乗った王子様の夢物語を生産してきたディズニーさえも、『アナと雪の女王』(13)では、白馬の王子様幻想をぶち壊し、ヒロインを救うのは、王子様のキスではなく女性どうしの連帯なのだという、『あのこは貴族』と似たような展開を見せています。 正直に言うと、『グッド・ウィル・ハンティング』を最初に見たときには見事に決まって見えたエンディングも、今回見直してみると、ちょっと「……?」となってしまいました。そもそも、ウィルの場合、<高給取りの未来か/愛する女か>は、カリフォルニアのしかるべき企業を選んで就職すれば解決する問題であり、二者択一で悩むべき問題でもない気がするのです。 『グッド・ウィル・ハンティング』の公開は1997年。物語において「愛」が最後の切り札として使われ、確たる説得力を持った時代の最後の作品のように思えるのは僕だけでしょうか。そして、なぜかくも長くストーリーテラーは「愛」を最後の落とし所としてきたのでしょう。この件について僕は、エロスとアガペーという異種な意味合いが「愛」や「LOVE」という一語に込められたことによる混乱が、恋愛を重いものにし、幻想を生んだのでは、と考えています。『ラ・ラ・ランド』や『あのこは貴族』(ただし、エンディングは恋愛寄りにブレている)、そして『アナと雪の女王』はその反動ではとも思ってもいるのですが、整理ができたら別の機会に語ってみたいと思います。 文/榎本 憲男 筆者注: 以下は、MasterClassによる「キャラクタードリブン」の解説です。 What Is a Character-Driven Story? Character-driven stories are focused more on character development than they are on plot. Character-driven stories are often found in literary fiction.(略) A character-driven plot is the type of story that is driven by emotion as opposed to a high concept plot. Character-driven plots are also often found in books based on real life. If you’re writing about your own story you might want to consider the insights into character that you have, having lived through and reacted to the events you are describing. ――(MasterClass:Plot vs. Character: How to Write Plot-Driven vs. Character-Driven Stories、2021年8月25日) 拙訳: キャラクタードリブンは、展開よりも主人公の内的な成長を重視します。小説などによく見られるタイプです。(略)キャラクタードリブンでは、派手な仕掛け(ハイコンセプト)で読者を引っ張らないで、感情の動きそのものを推進力とします。実話をベースにした作品などにこの傾向がよく見られます。もし自分自身の体験を題材に書くのであれば、その出来事を実際に生き、そこにどう向き合ってきたかという、あなた自身にしか持ちえない人物観——それを存分に活かすとよいでしょう。 これが本来の定義です。本文で僕が書いたものは、亜流です。どのくらいキャラクタードリブンの要素があるかをチェックするためのリトマス試験紙みたいなものだと思って下さい。

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