湾岸戦争の「国際法遵守」はどこへ消えたのか? ブッシュ政権の“180度の大転換”が生み出した「対テロ戦争」20年間の絶望とデブリ

2001年の9・11は、アメリカと世界を困難な道へと導くことになった。湾岸戦争での「国際法遵守」を捨て、証拠なき「先制攻撃」を正当化したブッシュ政権。「世界の警察官」たることをやめたオバマ政権、トランプ政権。 アメリカをはじめとする大国と中東との切っても切れない複雑な因果をスリリングに読み解くのが、中東研究第一人者の酒井啓子さんによる 『はみ出す中東と世界』 だ。イラン戦争、ガザ戦争という現在の混迷を理解するうえで欠かせない「対テロ戦争」の原点に迫る。(第1回)◆◆◆ 1990年代半ば、筆者は客員研究員としてエジプトのカイロ・アメリカン大学に滞在していた。湾岸戦争でアメリカの圧倒的な力を見せつけられたあとのもやもやした無力感と、オスロ合意に至りながらも和平交渉が進展しない閉塞感、長期権威主義政権の権力独占へと停滞する経済へのいらだちはあるものの、中東諸国の日常は一定の安定を享受しているように見えた。その一方で、若者の間には行き場のない鬱屈をどこに発散すべきか、煩悶(はんもん)が蓄積しているようにも見えた。 近所のご婦人から忠告されたことがある。夜中にいかがわしい輩が周りにたむろしているかもしれないから、気をつけてね。同じマンションに住む若者が、怪しい黒魔術にはまったらしくて、最近逮捕されたらしいの。お父様がクウェイト人で、母一人子一人でエジプトに暮らしているので、可哀そうな家庭環境なんだけど、裕福で何不自由ない暮らしなのにね――。確かにその時期、若者の間でヘヴィメタル・ロックの一種、ブラックメタルが流行っていた。黒の革ジャンに鉄鋲(てつびょう)をあちこちにつけ、フードを深くかぶった人を夜中に見かけたら、避けなさい。 ロンドンでパンクロック・ファッションの青年に顔をしかめる、良家の奥方に忠告されたような気分で、苦笑してしまったが、こういう方向に「抵抗」を見出す人たちもいるのだな、と思った記憶がある。 同じ時期、左派系ジャーナリストの友人から会合に誘われた。当時エジプトで長期政権を続けていたムバーラク政権に反対する大同団結的ネットワークができつつある、その集まりに顔を出してみないか、という話だった。それまで犬猿の仲だった共産党系と、ムスリム同胞団系の組織が手を組むかも、という試みである。中心にいるのは、どうやら70年代に学生運動、食糧暴動を指揮したリベラル市民運動系の活動家らしい。大学でも、市民社会の役割を論じた研究が盛んになっていた。こういう草の根運動が力をつけてくれば、エジプト、ひいてはアラブ社会も下からの変革が可能かもしれない、と思わせる風潮があった。 だが、現実はそうはいかない。90年代末、エジプト滞在を終えた筆者が、その後目撃することになったのは、「テロ」と「反テロ」、戦争と暴力的占領の連続だった。現在に至るまで、暴力と無法のハードルは引き下げられ、これで底をついたかと思うたびに、毎回底が抜けていく。 中東は、いったいどこまで壊れるのか。壊れた中東のデブリは、どこまでデブリの本来の持主、欧米のグローバル大国に戻っていくのか。戻った先で、どう世界を変えていくのか。

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