“ゴジラ”が再び日本列島を席捲しようとしている。 10月23日、読売巨人軍の第21代監督に松井秀喜氏が就任することが発表された(以下敬称略)。 甲子園での「5打席連続敬遠」で、高校生にしてすでに伝説を作った松井は1992年、ドラフト1位指名で巨人に入団。長嶋茂雄監督(当時)と師弟関係を結び、本塁打王とMVPを各3度獲得。2003年からは活躍の場をメジャーリーグに移し、09年には名門ヤンキースを世界一に導いてワールドシリーズMVPに輝いた。間違いなく日本野球史上屈指の強打者であり、背番号「55」は、今や他球団でもスラッガーの象徴として扱われている。 ある意味で、松井は「最後の国民的プロ野球選手」だった。「イチローや大谷翔平がいるじゃないか」という声もあるだろう。確かに、イチローも大谷も実績ではむしろ松井を上回っているとも言える。だが、松井には2人とは決定的に異なる環境でスーパースターへの道を歩んでいったことを忘れてはならない。 2000年代前半まで、日本の多くの地域で巨人戦はほぼ全試合、地上波でテレビ中継されていた。巨人ファンはもちろん、アンチ巨人でも野球中継を見ようと思えばジャイアンツ戦にチャンネルを合わせていた(合わせざるを得なかった)時代があったのだ。良くも悪くも、当時は「プロ野球=巨人(あるいはセ・リーグ)」という感覚のファンが大半だった。そんな中、松井は日本中の視線を浴びながら、国民的なヒーローとなっていった。 プロ2年目の94年には長嶋監督が「国民的行事」と呼んだ中日との「10.8決戦」で本塁打を放った。この試合は48.8%もの視聴率を叩き出したことでも知られる。96年にはセ・リーグ史上最年少(当時)でMVPを受賞。98年は初めて本塁打と打点のタイトルを獲得、00年は長嶋対王貞治(ダイエー)の「ON対決」が話題を集めた日本シリーズでMVPに輝き、シーズン50本塁打を達成した02年のオフに満を持してFAとなり、アメリカへ渡った。 だが、松井がヤンキースで2年目のシーズンを迎えた04年に勃発した球界再編騒動を機に、日本プロ野球は大きな変革期に入った。地上波での野球中継がほぼなくなった一方で、地域密着を重視するパ・リーグの人気が上昇。今シーズンは12球団の観客動員が史上最多(2717万7247人)を記録した。松井が活躍していた頃とはまったく違う形で、日本プロ野球は新たな黄金時代を迎えたと言ってもいい。 そんな中、“球界の盟主”だったジャイアンツの存在感は以前とは比べ物にならないほど薄れている。今季はシーズン途中で阿部慎之助監督が逮捕されるという不祥事も起きた。坂本勇人の衰え、岡本和真のメジャー移籍によるスーパースター不在という問題も抱えている。 そんな時代に、松井は言わば“切り札”としてジャイアンツに戻ってきた。「(今年は)巨人にとって一つの危機だった年。そこを力強く乗り越え、強い巨人にしていくには松井監督にお願いするしかないと思った」(山口寿一オーナー) オーナーの期待を受け、松井新監督は就任会見で「ジャイアンツに新たな黄金時代が訪れるよう、今日ここからスタートしていきたい」と語った。 その「黄金時代」とは、2012年を最後に遠ざかっている日本一奪還のみを意味するものではないはずだ。ドナルド・トランプではないが、「メイク・ジャイアンツ・グレート・アゲイン=ジャイアンツを再び偉大にする」——これこそが、松井新監督に課せられた最大の任務だろう。[文/構成:ココカラネクスト編集部]