【宮崎勤事件】6000本のビデオが積まれた真っ暗な部屋にFRIDAY記者が抱いた“違和感”

1988年から1989年にかけて4歳〜7歳の女児4人が犠牲になった『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』。1989年6月に東京・江東区で4人目の被害者・Dちゃん(当時5歳)が行方不明となり、飯能市内でバラバラ遺体で発見されたあとも捜査に目立った進展はなかった。しかし、7月23日に東京・八王子市で6歳の女の子への強制わいせつなどで26歳の男が逮捕されたことをきっかけに事件は一気に解決へと向かう。8月9日、この男がDちゃんの殺害を自供したのだ。翌10日に男が自供した通りの場所からDちゃんの頭蓋骨が発見され、男──宮崎勤は未成年者誘拐・殺人・死体遺棄容疑で再逮捕されることとなった。8月10日、メディア各社は一斉に臨時ニュースを流す。「八王子市内でわいせつ事件を起こした五日市町の男が、Dちゃん殺害を自供」当時、『FRIDAY』の記者だった小林俊之氏(73)は、編集部の夏休みを利用して、家族5人で奥多摩湖に向かう車内のカーラジオでニュースを聞いたという。「そのときはまだ青梅市内を抜けたばかりだったので、すぐにUターンして五日市署に行った。宮崎の家の場所を聞こうとしたら、警察署員がみんなテレビで宮崎のニュースを見ているんですよ。担当者に聞くと、『フライデーさん、うちの管轄ではないんです』と言うので、『すいませんが、宮崎の自宅だけでも教えてもらえませんかね』と聞くと、警察の正面に流れている秋川の反対側だという。それでまた車を飛ばして行きました」宮崎の家は『秋川新聞』という週刊の新聞を発行する印刷工場を営んでおり、工場の裏手に自宅があった。まだ警察は来ておらず、居間では数人のマスコミが両親を囲んで取材していたという。夏休みでランニングシャツに短パン姿だった小林氏を見て、両親は最初は何者かと驚いていたようだったが、幸い、知り合いの新聞記者がFRIDAYの記者だと紹介してくれて、取材に加わることができたのだった。「一連の事件が起きていた時期、宮崎は父親の印刷工場で働いていたので『事件について話したことは?』と聞いたら父親は『話題に出たことはない』と言ったんです。だけど、後で印刷工場の責任者に聞いたら『俺は勤君に、この犯人捕まったら死刑だねって言ったけど、勤くんは何も言わなかったね』と言っていました。父親は彼をかばっていたんです。『うちの子はあんな事件を起こすような子ではない。おとなしすぎるので、消防署に入れようと思ったぐらいだった。夜に外で泊まって帰ってこなかったこともない』とも言っていました。そして、『疑うんだったら部屋を見てくれ』と言って勤の部屋を見せてくれたんです」

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加