「つまらない政治」に慣れる時 英国民が選んだ「退屈な首相」の戦略とは?

英国で昨年7月4日に実施された総選挙を受け、労働党のキア・スターマー党首(62)が新首相に就任してから半年が過ぎた。不祥事続きだった保守党から14年ぶりに政権を奪還し、当初は有権者の期待も高かった。 だが英調査会社ユーガブによると、政権発足直後の昨年7月の世論調査で44%だったスターマー氏の支持率は、12月には25%まで落ち込んだ。 なぜこうなったのか。 理由はいくつもある。財政難の中、スターマー政権は年金受給者への暖房費補助の削減を打ち出した。低所得者層にはかなり不評の政策だ。 支持者から高級スーツや米歌手テイラー・スウィフトさんのコンサート券など計10万ポンド(約1930万円)相当の贈答品を受け取っていた問題も発覚した。スターマー氏は違法ではないと釈明したが、庶民感覚とかけ離れたその姿勢に多くの人が失望した。 一方、評価されたものもある。昨年夏に「反イスラム」「反移民」暴動を扇動した者に対し、インターネット上であおる行為も含め「抗議運動ではなく、暴力だ」と断固とした姿勢で臨み、多くの関係者を迅速に逮捕させた。 また、それまで頻発していた医師によるストライキもほぼ終結させた。ユーガブの世論調査では、政権発足100日間で最も評価された政策が、この「スト終結」だった。これにより、病院が正常に機能し始めた。 スターマー氏は地味である。英メディアでは「つまらない政治家」「退屈な演説」と酷評され、労働党の公約は「(対話型人工知能の)チャットGPTが書いたのか」とのジョークまで飛び交った。 「彼は単純な政治を嫌います。短く分かりやすいスローガンを言うだけで、全てが解決できるという幻想を国民に持たせることはしません。政治は曖昧さや微妙なニュアンスの上に成り立っており、それをむしろ大事にしています。単純明快さは、ポピュリズム(大衆迎合主義)につながると信じているのです」 スターマー氏の伝記を執筆した政治ジャーナリストのトム・ボールドウィン氏は選挙後にそう語り、新政権下ではこの「つまらない政治」に慣れることも重要と指摘した。 こうした中、スターマー氏が力を入れるのが教育だ。 英国の義務教育は大半の場合は5歳から始まるが、近年は英語を話せない児童も多い。スターマー氏は昨年12月の演説で「5歳児の3人に1人は就学準備ができていない」と述べた。 簡単な読み書き、算数ができる5歳児は昨年は約67%だったが、スターマー氏はこれを2028年までに75%まで引き上げる方針だ。識字率や計算能力の向上のため、政府資金を投入する。また、教員の増員も目指す。 しかし、教育は即効性のある政策ではない。英紙フィナンシャル・タイムズの政治コメンテーター、ロバート・シュリムズリー氏は同紙で、労働党の主要政策は「効果が表れるまで何年もかかる」と指摘した。子供たちが成長し、教育の「成果」が出る頃には、もはやスターマー氏は政界にいないかもしれない。 日本の旧長岡藩(新潟県)には、あえて米を藩士に分け与えず、売却して学校をつくることを優先させた「米百俵」の逸話がある。01年に小泉純一郎首相(当時)も演説で引用したエピソードだが、「今すぐ米を食べたい」と思っていた藩士からは、きっと不満も出たことだろう。 だがスターマー氏は、教育に限らず多くの政策について「短期的には感謝されない」ことは分かっていると述べたうえで、「ポピュリズムは答えではない。イージー・アンサーズ(安易な答え)は国を強くしない」と演説し、国民に辛抱を求めた。 「スターマー氏はカリスマ性を嫌います。自分を知ってほしいとは思わず、家族の写真を撮られることも嫌がります」。ボールドウィン氏はそう話す。「そして彼は、他人とうまくやっていきたいと思っている人間です」 世界には今、分かりやすく「敵と味方」を作り出す政治家であふれている。だがスターマー氏は比較的おとなしい。政敵を口汚くののしることはなく、総選挙で争った保守党のスナク前首相に対し、「わが国初のアジア系首相としての彼の偉業は、誰も過小評価できない。私たちは皆、彼の仕事熱心さを知っている」と選挙後にねぎらいの言葉を贈った。スナク氏は両親がインド系移民で、英国史上初のアジア系首相だった。 これに対しスナク氏は「スターマー氏は品行方正で公共心あふれる人物だ。私は彼を尊敬している」と語った。 その後、本来は敵同士である2人が談笑する動画が10万回近く再生され、その「仲の良さ」をほほ笑ましく思うコメントも数多く投稿された。 こうして始まったのが、派手なバトルも少ない地味な議会だ。保守党の党首もスナク氏からベーデノック氏に交代し、もちろん新たな論戦も始まっている。だが欧州連合(EU)離脱も終え、国論を二分するような大きなテーマもない今、総じて英国政治は静かな季節に入った。 パフォーマンスが上手でカリスマ性もあり、EU離脱の立役者だったジョンソン元首相が所属する保守党は、昨年の総選挙で大敗した。確かにスターマー氏の支持率は下がったが、保守党はそれ以上に人気がない。昨年12月の各種世論調査では、もし現在総選挙があっても、結局は労働党が勝つとの予測になった。 年が明け、労働党新政権も夏には2年目を迎える。英国民はどこまで「つまらない政治」に慣れることができるのか。「カリスマの正反対」(ボールドウィン氏)とされるスターマー氏の正念場がそろそろやって来る。【ロンドン支局長・篠田航一】

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