ビルの壁からアイスクリーム店の中まで、約11年ぶりに訪ねたシリアの首都ダマスカスは、いたるところに反体制派を象徴する星三つの三色旗にあふれていた。 街を歩き、取材していると「新しいシリアへようこそ!」と次々に声を掛けられ、スマホで「一緒に自撮りして」とせがまれる。街頭で話を聞いているとすぐ人だかりができ、口々に前政権下の抑圧を語り出す。筆者が「順番で」となだめると、「ずっと口を封じられてきたんだ。話させてくれよ!」と頼み込む人もいたほどだ。情報機関や密告を恐れ、公の場で外国人と話すのを警戒していた内戦中には考えられない自由な空気に満ちていた。 高いアーチで覆われた旧市街のハミディエ市場はすれ違うのもやっとのにぎわいで、首が長いアサド前大統領を揶揄したイラストが描かれた靴下が並ぶ屋台まであった。一足1万シリアポンド(約140円、取材当時)と柄なしの倍の値段だが、店主は「記念にと買っていく人が多いんだよ。週末は一日30〜40組は売れるね」と顔をほころばせた。 シリアは2011年3月、中東の民主化運動「アラブの春」が波及し、抗議デモへの武力弾圧が武装闘争に発展して激しい内戦になった。シーア派の大国イランからレバノンのシーア派組織ヒズボラへの補給路に位置するシリアの混乱を前に、イランやトルコなどの地域大国、米国やロシアといった超大国、過激派組織イスラム国(IS)などが相次いで軍事介入し、各勢力の「代理戦争」となって泥沼化した。化学兵器や火薬と金属片を詰め込んだ「たる爆弾」、学校や病院への爆撃など、「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれるほど情勢は悪化した。内戦前の人口の半数以上にあたる約1200万人が難民・避難民となり、15年には「難民危機」の引き金となって欧州を大混乱に陥らせた。 14年近く続いた凄惨な内戦は、予想外の形で急展開した。 前政権を支えたヒズボラとイスラエルの停戦が発効された昨年11月27日、過激派組織「シャーム解放機構」(HTS)が主導する反体制派が北西部イドリブ県から電撃的な反攻を始めた。アレッポ、ハマ、ホムスと主要都市を立て続けに制圧し、南部ダラア、スウェイダの武装勢力も呼応し、わずか12日間でダマスカスを掌握した。アサド前大統領はロシアに亡命し、父子2代続いた独裁政権は幕を閉じた。 劇的な政変から1カ月半が過ぎた首都は、意外なほど平穏だった。 黒い目出し帽と軍服に身を包んだHTSの兵士が、要所で自動小銃を構えて治安維持にあたっている。反体制派は拠点のイドリブ県で中央政府を模した統治機構を運営しており、その担い手が主力となって発足間もない暫定政権を動かしている。 内務省の正門で警備にあたっていた治安要員モハンマド・アルナボルシ(33歳)も、イドリブで反体制派に加わった一人だ。「まだ残党を警戒しないといけないが、もうじきこんなマスクともおさらばだ」とわざわざ目出し帽を脱いで筆者の取材に応じた。 「イドリブで経験を積んだ人たちが立派な仕事を成し遂げている。1年もあれば、全く違った世界を目にすることになるだろう」とHTS主導の再建に自信を見せた。