再審請求から19年、長期審理中に… 狭山事件の石川一雄さん死去

埼玉県狭山市で1963年に女子高校生が殺害された「狭山事件」で、無期懲役が確定して服役後に仮出所し、裁判のやり直し(再審)を求めていた石川一雄(いしかわ・かずお)さんが11日、誤えん性肺炎のため死去した。86歳。葬儀は家族で営み、支援団体などによる追悼集会を後日開く予定。 狭山市入間川の雑木林で63年5月、県立高1年の女子生徒(当時16歳)が暴行を受けて殺害され、石川さんが強盗殺人罪などで逮捕・起訴された。 64年3月に旧浦和地裁(現さいたま地裁)で死刑判決を受けて控訴。東京高裁での控訴審で無罪主張に転じ、「『認めれば10年で出してやる』という警察官の約束を信じた」「部落差別に基づいた偏見で犯人に仕立て上げられた」などと、冤罪(えんざい)を訴えた。 高裁は74年10月、死刑を破棄したが無期懲役を言い渡し、77年8月に最高裁で刑が確定し、服役した。 80、99年の2回、高裁に再審請求を棄却された。94年12月に仮出所し、2006年5月に第3次請求を申し立てた。高裁は09年、筆跡鑑定に使われた文書などの証拠開示を検察側に勧告。検察側は証拠品の一部を初めて開示した。 弁護側は開示された証拠をもとに、石川さん宅から見つかって有罪の決め手となった万年筆のインクを鑑定。「被害者のものとは言えない」とする専門家の鑑定結果を新証拠として高裁に提出した。 請求から19年という長期審理が続いており、高裁の判断が注目されていた。 事件を巡っては、部落解放同盟などが「被差別部落に対する差別捜査・裁判」と主張。作家の故野間宏氏が訴訟記録を基に「狭山裁判」を発表するなど、学者・文化人も加わった広範な支援活動が展開された。 石川さんは東京拘置所から交流があった袴田巌さんら、他の冤罪事件の支援活動にも熱心に取り組んでいた。 支援してきた部落解放同盟埼玉県連の片岡明幸委員長は「無念でならない」と話した。

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