【モデルボクサー 高野人母美 9頭身ファイターの告白(20)】2018~19年は米国を拠点にプロボクサーとして活動し、メキシコでも試合をしました。現地では世界6階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)が拠点としていたワイルドカードジムで練習したり、彼と一緒にトレーニングをしたこともありました。 その後、19年10月にJBC(日本ボクシングコミッション)ライセンスを再取得。国内復帰を果たします。形としては協栄ジムから緑ジムに移籍となりました。元協栄ジムのマネジャーで緑ジム所属だった岡庭慎さんをはじめとした方々のご尽力もあって実現しました。過去のこともあってJBCには「今後、問題行動を起こさない」との誓約書も提出しました。 国内復帰戦は19年12月15日でした。近藤佐知子選手(駿河)とフライ級6回戦で対戦し判定勝ちと順調な再スタートとなりました。それから中国や米国で試合をする計画もあったのですが、コロナ禍で国内でも試合をすることができず、次戦は22年7月8日まで待つことになります。 2年7か月ぶりのリングは勝又ジムの所属として、椙元愛選手(一力)と対戦してドローでしたが、舞台裏でいろいろありました。正直試合に集中できるような状況ではなかったです。当初はフィリピンから選手を呼んで対戦する計画でしたが、勝又ジムの勝又洋会長は動く様子はありません。私の目には、ロクに仕事もしないで飲み歩いているようにしか見えませんでした。 実際、試合10日前になっても、きちんと決まっていませんでした。結局勝又ジムが間借りしていた一力ジム所属の椙本選手と対戦することで決着しましたが、彼女のファイトマネー(17万円)を請求され、ノルマのチケットをさばいたり、ポスター貼りなど、自分一人で行っていました。 さらに、このイベントのラウンドガール手配も自分がやり、メインだった二瓶竜弥(DANGAN郡山)―中川麦茶(一力)戦では、自らラウンドガールをこなすなど大忙し。ただ、モデルもやっている身ですから、ラウンドガールもやったらやったで楽しい部分もありましたけどね。 この試合には19年9月に亡くなられた山上ジムの山上哲也会長の奥さまに来場していただきました。会長は私をプロボクサーに導いてくださった恩人です。控室には背中に「山上哲也」と刺しゅうされたガウンを飾りましたが、リングには持っていきませんでした。 というのも試合当日の午前11時30分ごろ、安倍晋三元首相銃撃事件が起き、山上徹也被告(当時は容疑者)が現行犯逮捕されていたからです。会長は事件と全くの無関係とはいえ、名前が名前だけに、事の重大性を考慮して判断しました。次回は最終回となります。