<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。今回は「昭和元年」に登場し、その後何度か取り上げられた大正生まれの4人兄弟の孫の世代が見た「昭和最後の日」です。> ■昭和は最初も最後も1週間 「かぜで昼まで寝ていたら大正から昭和になっていた」とおじいちゃんはよく笑い話として言うが、僕も似たようなもので、ベッドから出たらテレビは特別番組ばかりになっていた。毎晩夜中でも入院中の天皇陛下のご容体がテレビで流れていて気にしていたのに、この日に限って昼近くまで寝てしまったのだ。 第一次大戦が始まった大正3年生まれの祖父は今年75歳になる。大正15年12月25日の大正が終わった日のことはよく覚えていて、ちょうど今の僕と同じくらいの年だったという。正月が近づいていたので、とっさに思ったのは「喪中でも雑煮を食っていいのか」と「年賀状を出してしまった」らしい。 近ごろの「自粛」の影響で、昭和の終わりの正月もいつもの雰囲気ではなかった。「昭和元年」は年末のわずか1週間、「昭和64年」も年始の1週間で終わったのは偶然だろうか。 祖父によれば、大正天皇は午前1時ごろに亡くなり、昼前には「昭和」の新元号が発表されて新聞の号外が配られたという。 ■大正世代は7人に1人が戦死 60年以上経て昭和天皇が崩御したのは1月7日午前6時半ごろ。昨年9月から闘病され、87歳だった。ニュース速報で発表されたのは8時ごろらしく、午後2時半すぎには小渕恵三官房長官がテレビの記者会見で「平成」の二文字を掲げた。「へーせー」という音が軽い気もしたが、いずれしっくりくるようになるのだろう。僕は12年しか生きていないが、「昭和」という響きにはすごく重いものを感じる。やはり日本が大きな戦争を経験したからだろうか。 祖父の一郎は4人兄弟の長男として生まれ、4人とも戦争に行った。次男の二郎は無事帰って来たが、三男の三郎は戦死し、四男の四郎はシベリアに抑留され、片足がない。全員が大正生まれで関東大震災も経験しているが、この世代は7人に1人が戦死しているという。 その子供にあたる父や、父のいとこたちは全員が昭和10年代の生まれで、戦時中に少年時代を過ごしている。終戦を境に突然世の中の考え方が変わり、世間を皮肉っぽく見る人が多いと父が言っていた。