1952(昭和27)年 後楽園球場でのNBA世界フライ級王座戦で挑戦者白井義男がダド・マリノ(米国)に判定勝ち、日本人初のプロボクシング世界王者となった。銀座のジムで練習中、連合国軍総司令部(GHQ)に勤務する生物・生理学者でボクシング指導者のアルビン・カーン博士に認められて指導を受ける。1949年、フライ級、バンタム級の2つの日本タイトルを奪った後、世界チャンピオンとなり、4回防衛したが、54年、王座陥落。55年のリターンマッチでも敗れ、現役を引退した。
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1952(昭和27)年 後楽園球場でのNBA世界フライ級王座戦で挑戦者白井義男がダド・マリノ(米国)に判定勝ち、日本人初のプロボクシング世界王者となった。銀座のジムで練習中、連合国軍総司令部(GHQ)に勤務する生物・生理学者でボクシング指導者のアルビン・カーン博士に認められて指導を受ける。1949年、フライ級、バンタム級の2つの日本タイトルを奪った後、世界チャンピオンとなり、4回防衛したが、54年、王座陥落。55年のリターンマッチでも敗れ、現役を引退した。