台湾で1950年代、国民党政権による弾圧で犠牲になった先住民ツォウ族の高一生とその家族の物語を伝える特別展「台湾人権と音楽の継承―高一生、三世代が紡ぐ家族の歌」が台湾文化センター(東京都港区虎ノ門)で開かれている。 ウォグ・ヤタウユガナ(高一生)は08年、日本統治下にあった台湾で、阿里山に暮らすツォウ族の集落に生まれた。台南師範学校に進学し、近代音楽教育に触れ、ピアノの演奏や詩作を好んだ。卒業後は地元の教育所で先住民の子供たちに教えながら巡査を兼務し、農村改革にも尽力した。音楽を愛した一生は自ら作詞・作曲した歌を数多く残している。 45年の敗戦により日本が去った後の台湾は、中国大陸から渡った国民党政権が統治した。蔣介石が率いる政権は独裁体制を強め、反体制派とみなした者に対する無差別逮捕や処刑を行うなど、「白色テロ」と呼ばれた弾圧の嵐が吹き荒れた。 戦後、一生は地元・呉鳳郷の初代郷長に就任した。その一方で、先住民族による自治区構想を提唱。先住民族の各代表による会議の開催を計画するなど自治運動を展開した。 だが、政権には、こうした活動が目障りだったのか。52年、非合法組織への参加などの無実の罪で逮捕された。死刑判決を受け、54年に銃殺された。 長女の菊花さんは、白色テロで父が死亡したことから米国留学を諦め、歌手パナナとしてステージに立ち、家族の生計を支えた。人気歌手となった後も、政治犯の家族として長年、監視され続けた。 台湾では87年に戒厳令が解除され、90年代に民主化にかじを切った。孫たちは音楽家として祖父の精神を受け継ぎ、台湾の記憶や先住民文化を世界に伝えている。 特別展では、一生が獄中から妻・春芳ら家族に宛てた手紙や遺書、写真、一生が作った歌の楽譜のほか、長女の歩み、孫たちの活躍など貴重な資料を展示。先住民を巡る人権弾圧の歴史の一端などを知ることができる。 展示には、妻に宛てた最後の手紙もある。日本語で美しい筆致が目をひく。 「なつかしい春芳 あなたも元気で何よりです (中略) 私の無実な事が後で分ります。ミシンを取られる前に、あなたの縫った物を着たいのです。白い●下(ずぼんした=●は「しめす」へんに、右側の作りは「庫」)一枚 (中略) パンツの様にヒモをつけ 下はズボンの様に。白い風呂敷(四尺位)一枚。畑でも山でも私の魂が 何時でもついてゐます。水田 売らない様に。 高一生」 次男で元教師の英傑さん(85)は「この白い風呂敷を準備して、という部分を読むたびに涙が出てくる。白い風呂敷は(自分の)遺骨を包むためのものだから」と言葉を詰まらせながら語った。 開幕式で、台北駐日経済文化代表処の李逸洋代表(大使に相当)は、自身も白色テロで言論弾圧を受け、拘束された経験があることを明らかにした。その上で「台湾が人権と自由を迫害する歴史的悲劇を二度と繰り返さないようにしていることを皆さんに理解していただきたい」と語った。 式では、英傑さんと妹の美英さん(73)が、一生が妻にささげて作った歌「フロクスの花(長春歌)」や、ツォウ族の伝統歌などを披露し、会場を沸かせた。式後、英傑さんは「日本では父のことはほとんど知られていない。日本の皆さんにも父の生涯や音楽を愛したことなどを広く知っていただきたい」と話した。特別展は7月23日まで(土日祝日は原則休み)。入場無料。【鈴木玲子】