昭和20年生まれの重信房子 日教組の戦後教育が染み付いたか 平成12年「産経抄」 プレイバック「昭和100年」

「断固たたかうからね」「がんばるからね」。重信房子容疑者はテレビカメラに向かって親指を立て、そういって虚勢を張っていた。一体、彼女はだれとたたかい、何をがんばるつもりなのだろう。 ▼日本赤軍が引き起こした国際テロ事件はいくつもあるが、重信容疑者の逮捕容疑は昭和四十九年のオランダ・ハーグ事件だった。もう四半世紀も昔である。堀江謙一さんが小型ヨットで世界一周をしたり、北の湖が二十一歳二カ月で横綱に昇進したりした年だった。 ▼世界同時革命などという彼らの妄想は、市民社会の感覚や常識とは遠くかけ離れてはいた。しかし形の上では反対していても、「若者の異議申し立て」とか「時代の反乱」といってその心情を支持する政党やグループがいた。 ▼マルクス主義を志向する共産党、社会党左派、日教組そして進歩的文化人たちである。重信逮捕に「革命幻想の終わりに」と題した社説できびしく彼女を非難した新聞があった。しかしその新聞に拠(よ)る評論家やジャーナリストの多くも、じつは〝革命幻想〟をふりまいていた。 ▼彼女が昭和二十年、つまり敗戦の年生まれだったというのは、ある意味で示唆的だといえなくもない。ひもじい飢えの時代は幼くして体験の記憶はないだろうが、ものごころがつく時代に〝刷り込み〟を受けた。小学生の柔らかい頭脳にしみ入った日教組の戦後教育である。 ▼こう書くと、昭和二十年生まれの全員が〝重信的〟だったわけではないと反論されるだろう。もちろんそうだが、しかし彼女だけが特殊だったとは思えない。知らず知らず社会主義を美化する教育が、子供の心の深層に刷り込まれ、沈殿していったはずなのだ。 (平成12年11月10日)

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