カレーの毒婦と獄中生活と映画 仏紙が『マミー』監督に聞く

「和歌山毒物カレー事件」の最高裁判決に異を唱えるドキュメンタリー映画『マミー』が公開中だ。四半世紀前の事件をなぜいま問い直すのか、仏紙「リベラシオン」日本特派員の西村カリンが、映画監督に聞く。 地域の夏祭りが突如、急転して、ただならぬ事態に陥った。1998年7月25日、和歌山市で住民67人がヒ素入りのカレーライスを食べて中毒を発症し、そのうちの4人が死亡した。 疑いのまなざしは、ほどなくしてこの近所の嫌われ者だった林家に向けられることになった。一家の母親である林眞須美には、保険金詐欺の疑いがあった。事件当日、林眞須美は調理されたカレーの見張りをする当番のひとりでもあった。 「マスコミは最初から犯人は地元の誰かだと決めつけていました」とフリージャーナリストの片岡健は言う。 悲惨な事件の1ヵ月後、「朝日新聞」がスクープを飛ばした。同紙の一面に「事件前にもヒ素中毒」の見出しが躍った。毒物混入事件が起こる以前に、同地区の民家で飲食した2人がヒ素中毒になっていたという記事だ。 すっぱ抜いた内容に間違いはなかった。林の家で、眞須美の夫である健治と知人の男が保険金の詐取を目的として少量のヒ素を口にしていたのだ(林健治は、シロアリ駆除業者でヒ素を扱う知識があった)。 メディアは確信した。毒物カレー事件の犯人は、健治の妻の眞須美以外にありえなかった。 こうして夏の一大事件の報道が過熱していった。林家の前は連日、カメラマン、テレビカメラ、記者が張りつく異様な光景となった。林眞須美がこれに苛立ち、報道陣にホースで水をかけて追い払おうとした場面もあった。 林眞須美が衆人環視のもとで警察に逮捕されたのは、1998年10月4日だった。警察が事前にメディアに伝えたのだろう。それ自体は珍しいことではない。被疑者は無罪を主張したが、その主張が聞き入れられることはなかった。 2002年、和歌山地方裁判所が死刑判決を下し、2009年に最高裁判所でその判決が確定した。

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