藤原作弥さん死去、88歳 新日銀法下で、初の民間副総裁

1998年4月施行の新日銀法の下で、民間出身者として初めての副総裁となった藤原作弥(ふじわら・さくや)さんが17日午後9時39分、肝細胞がんのため横浜市の自宅で死去した。 88歳。仙台市出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長女の向井陽子(むかい・ようこ)さん。 62年に東京外語大を卒業し、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省(現財務省)、日銀などを担当、ワシントン特派員や解説委員長も務めた。 金融機関による過剰接待問題で日銀職員が逮捕され、当時の総裁・副総裁が辞任に追い込まれた98年、民間人初の副総裁に就任。日銀OBで日商岩井(現双日)会長などから転じた速水優総裁(故人)を支え、日銀の信頼回復に尽力するとともに、デフレ克服に向けゼロ金利政策導入などを打ち出した。 現役記者時代からコラムニストやエッセイストとしても活動。戦前に中国で歌手・女優として活躍し、戦後に参院議員を務めた山口淑子さん(同)との共著「李香蘭 私の半生」のほか、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「聖母病院の友人たち」などの著作がある。

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