中編/売れっ子スポーツライターは、なぜ医師の家族を殺したのか?【ロボトミー殺人事件(2)】の続き 【中編】で記したように、精神外科手術のひとつであるチングレクトミー(前部帯状回切除術)に関与した医師Kさんの家族を殺害したSの半生はあまりにも波乱万丈だった(*1)。若き日に通訳として働くが、その後は土木作業員に転じ、ちょっとしたトラブルから服役。出所後はスポーツライターとして第一線で健筆をふるった。ところが、あるきっかけからチングレクトミーを受ける事態となり、術後は意欲が低下。以後は苦しみながら職を転々とし、遂に強盗に及んで再び収監された。Sは出所後に、いかなる過程を経て、殺人事件を起こすに至ったのか? (*1)本稿では通称に倣い事件名を「ロボトミー殺人事件」とするが、Sが受けた「チングレクトミー」は、古典的ロボトミーと異なる局所的な術式である。 ■新天地で痛感した精神外科手術の影響 1976年、Sに新しい道が用意された。弟の支援によりフィリピン・マニラで通訳として働くことになったのだ。得意の英語を活かした新天地での生活は晴れがましいものになるはずだった。ところが、そこでSは絶景を前にしても美しいと感じないなど、自ら感受性の衰えを自覚した。以後、チングレクトミーに原因があるという認識を深め、Kさんへの憎悪を募らせていく。そして帰国後は、襲撃を具体的に計画したのである。 ■長引いた裁判の結果は「無期懲役」 Kさんの妻と義母を殺害し、金品を奪った容疑で逮捕・起訴後、Sは裁判で再度の精神鑑定を受け、〝刑事責任能力あり〟と判断された。 なお、事件から約9年後の1988年、八王子拘置支所の屋上運動場で体操中、Sは高さ約3mの金網をよじ登って運動場側へ飛び降り、肩を骨折するなどの重傷を負ったという出来事もあった。 地裁では検察が死刑を求刑したが、裁判長は無期懲役を言い渡した。審理の過程でSは精神外科手術への理解を求め、量刑については無罪か死刑を望む旨を述べた。また、半ば強制的に手術を受けたと主張するSを支援する動きもあった。最終的に、事件から17年後の1996年11月に無期懲役が確定した。獄中のSはいわゆる「自死権」を主張し、国にそれが認められないことに対する損害賠償を求めたが、2008年2月の判決で請求は棄却された。 ■ロボトミーは医学界の黒歴史に ロボトミーなど精神外科手術は、術後に顕著な人格変化をもたらす例が少なくなかった。もし、Sが妹宅でトラブルを起こさなければ、手術を受けなければ、スポーツライターの第一人者として尊敬の対象となる輝かしい未来が待っていたかもしれない。 Sは少なくとも2010年代までは生存が確認されているが、近年の動静は公表されていない。存命であれば、2025年9月時点で96歳となる計算である。 1975年公開のジャック・ニコルソン主演映画『カッコーの巣の上で』には、ロボトミーを受けた人物が言語・思考機能に重い障害を残す描写がある。その後、精神外科手術は一部の国で極めて限定的に行われるのみとなった一方、ロボトミーは世界各地で問題点が指摘され、日本では1970年代半ばを最後に事実上途絶えた。現在では精神医学の負の遺産と位置づけられている。