中国SFが人気だ。そのシンボルとも言える劉慈欣『三体』の発行部数は累計3000万部を超え、実写化したドラマ版も注目を集めた。また、中国制作のSF映画を目にする機会も増えている。 世界屈指のテクノロジー大国へと発展した中国。その歩みとSFに関係があるなら、日本への示唆が隠されているのではないか。 今や世界的な評価を得ている中国SFだが、この地位を築いたのはごく最近だ。『三体』がヒューゴー賞、すなわち世界のSF小説界で最も価値ある賞を受賞したのは2015年のことだが、その前には100年を超える苦難の歴史があった。 19世紀末から20世紀初頭にかけ、中国は近代化を目指す改革の最中にあった。その中で、期待をかけられたのがSF小説だった。 「学理を集めるが、堅苦しくはなくユーモラスたっぷり。読者は悩まずとも理解できる。知らず知らずに知識を得て、迷信を打破し、文明化を助ける。(科学小説=SFは)これほどに偉大なのだ」 魯迅がジュール・ヴェルヌ『月世界旅行』中国語版の序文に記した言葉だ。SFは科学知識普及のツールとして位置付けられた。新中国成立後は「科学小説」から「科普」へと名を変えたが、子ども向けの科学普及という実用主義は変わらない。 米国のSF作品『スター・ウォーズ』と手塚治虫『鉄腕アトム』を例にするとわかりやすいだろうか。 1977年公開の『スター・ウォーズ』第1作は中国で公開されず、いまだにファンの数は少ない。『鉄腕アトム』は80年に中国のテレビで放送され、国民的人気を得た。 文化大革命終結後、本格SFに好機が訪れた。国家再生のために技術重視を唱える「科学の春」が始まり、この波に乗っていくつものSF雑誌が創刊された。しかし、まだ保守派が強い時期でもあり、最終的には「精神汚染」として批判対象にされ、中国SFの短い春は終わった。 しかし、中国のSFファンの熱は消えることはなかった。中国のコンテンツ市場は閉鎖的ではあったが、世界最大の人口を持つ有力なマーケットとして、全世界の文化産業は必死に売り込みを図っていた。 中国にじわりじわりとしみこんでくる世界の文化的影響、その追い風を受け、中国SFは静かに成長を遂げていった。拠点となったのが、保守派の反発にもどうにか生き残った雑誌『科学文藝』(91年に『科幻世界』と改称)だ。この『科幻世界』から『三体』の劉慈欣、韓松、王晋康といった新世代の作家たちが登場することになる。