尹大統領、憲法上戦時・事変ではないのに戒厳令…国会在籍過半が要求すれば解除すべき

尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が3日午後10時25分頃、緊急談話を発表し、非常戒厳を宣布した。 大韓民国の憲法は戦時や事変またはこれに準ずる国家非常事態に限り、戒厳を宣布できると定めている。尹大統領は北朝鮮との交戦や国内騒擾事態などで行政・司法が麻痺した状態ではないにもかかわらず、軍が令状なしに市民を逮捕・拘禁できる非常戒厳を宣布したのだ。 尹大統領は野党「共に民主党」など国会に対し、「自由民主主義体制の転覆を企て、自由民主主義体制を崩壊させる怪物となった」とし、「破廉恥な従北(北朝鮮追従)反国家勢力を一挙に清算し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と戒厳令を敷く理由を説明した。 憲法によって大統領が戒厳を宣布した時は、直ちに国会に通告しなければならない。また、国会が在籍議員の過半数の賛成で戒厳の解除を要求した場合は、大統領はこれを解除しなければならない。 尹大統領の非常戒厳宣布が伝えられると、野党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表はもちろん、与党「国民の力」のハン・ドンフン代表も反対の意思を明らかにした。政界では、尹大統領が戒厳の解除を阻止するため、軍を動員して国会議員の逮捕に乗り出す可能性もあるとみられている。 共に民主党は以前から、尹大統領がいわゆる軍内の「沖岩派(尹大統領と同門の沖岩高校出身)」を通じて非常戒厳を宣布する可能性があると主張してきた。キム・ヨンヒョン国防部長官、イ・サンミン行政安全部長官など、非常戒厳に動員される軍・警察組織のトップは尹大統領と同じ沖岩高校卒業生が担っている。 非常戒厳はこれまで合わせて9回宣布された。1979年、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領がキム・ジェギュ中央情報部長の銃撃で死亡した10・26事件直後(1979年10月27日~1981年1月24日)▽釜馬民主抗争(1979年)▽10月維新(1972年)▽6・3抗争(1964年)▽5・16軍事クーデター(1961年)▽4月革命(1960年)▽朝鮮戦争(1950年)▽麗水(ヨス)・順天(スンチョン)事件(1948年)▽済州(チェジュ)4・3(1948年)の際、非常戒厳が宣布された。 キム・ナミル記者 (お問い合わせ [email protected] )

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