巨人にドラフト1位で入団して活躍した選手といえば、近年では岡本和真、吉川尚輝、大勢らの名前が上がるが、その一方で、プロでは大成できないまま引退していった選手も少なくない。その中から、セカンドキャリアで成功を収めた元ドラ1たちをピックアップしてみよう。 現役引退後、スカウトに転身し、坂本勇人を発掘したのが、1989年のドラフト1位・大森剛だ。 同年のドラフトで、巨人は甲子園のスター・元木大介(上宮)、六大学の三冠王・大森(慶大)のどちらを1位で指名するかで、究極の選択を迫られた。 「“大元森木”と書きたかった」と藤田元司監督も悩んだ末、1位指名は大森で決定した。 だが、プロ入り後は、苦闘の日々が待ち受けていた。翌90年は開幕1軍入りをはたしたが、開幕戦のヤクルト戦で、同点の9回裏2死二、三塁、左中間に長打性の打球を飛ばしながら、センター・栗山英樹にスーパーキャッチされ、不運にも“幻のサヨナラ打”となった。 その後は、92年にイースタン新(当時)の27本塁打を記録するなど、2軍では無双状態も、戦力が充実する1軍の壁の厚さに泣く。 結局、近鉄時代も含めて実働8年で出場132試合、打率.149、5本塁打、16打点と持てる力を発揮できず、“悲運の天才打者”と呼ばれた。 そして、2000年から古巣・巨人の東北・関東地区スカウトとして再就職したことが、セカンドキャリアでの成功につながった。 04年秋の青森県大会で、当時光星学院(現八戸学院光星)1年生だった坂本をひと目見た瞬間、「この選手は間違いなく大成する!」と直感した。 「ゴロの捌き方も身のこなしも、ほかの選手とは明らかに違う。手足のハンドリングまで、とにかくカッコよかった」(自著「若い力を伸ばす読売巨人軍の補強と育成力」 ワニブックス)。 だが、他のスカウトは「ダメだろ、あんなのは」と評価せず、06年の高校生ドラフトでは、愛工大名電の主砲・堂上直倫を1位で指名することが決まった。