53年前、1972年に軽井沢町の保養所に立てこもったあさま山荘事件で、人質となった牟田泰子さんが亡くなっていたことがわかりました。85歳でした。 銃を持った連合赤軍のメンバー5人が、1972年2月に軽井沢町の保養所に立てこもったあさま山荘事件。 人質となったのが、保養所の管理人だった牟田さんでした。 10日間にわたった警察と連合赤軍との攻防の末、メンバーは逮捕され、牟田さんは救出されました。 事件後、牟田さんは夫と町内で暮らしていましたが、関係者によりますと、牟田さんが亡くなっていたことがわかりました。85歳でした。 当時、牟田さんの救出にあたった元県警の箱山好猷さんはー。 「長野県警の責務は犯人逮捕より人質救出でしたから、なにより命をかけてでも牟田さんを無事救出する。それだけが目的だった。あの時救出できたから今日まで天命を全うできて良かったと思います。元気になって何回か伺ったことはあるが、一生忘れられない恐怖があったのでは」 軽井沢町の土屋三千夫町長は、「訃報に接し、大変悲しみを感じております。長年支え続けられたご家族のご苦労に思いをはせると胸がつまります。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」とコメントしてます。