諦めなければ、事件はきっと動く――。26年の時を経て容疑者が逮捕された、名古屋市の主婦殺人事件の報道を見て、そう感じた未解決事件の遺族がいた。 16年前、ひき逃げで我が子を奪われた、埼玉県熊谷市の小関代里子(よりこ)さん。名古屋の事件で現場の部屋を借り続けた遺族の執念に自らの歩みを重ね、希望をつないでいる。 ◇2台にひき逃げされた我が子 小学4年だった長男の孝徳さん(当時10歳)は2009年9月30日夕、自転車で帰宅途中に熊谷市内の市道で車にひかれ、亡くなった。 2台の車が相次いで接触し、いずれも逃走したとみられている。 現場の遺留物は少なく、捜査は難航した。公訴時効が迫った19年9月、県警は容疑を自動車運転過失致死から危険運転致死(いずれも発生当時の罪名)に切り替え、時効が10年延長されたが、検挙には至っていない。 ◇母の執念、10万台を記録 「自分も、事件の解決に少しでも役立ちたい」 代里子さんは発生直後から現場付近に立ち、通過する車のナンバーを記録し続けてきた。 孝徳さんの同級生の保護者の協力も得て、これまで書き取ったナンバーは10万台分にも上る。 その結果、熊谷ナンバーの車が最も多く、他県では群馬ナンバーも多いことが分かった。 現場はJR熊谷駅方面に向かう抜け道となる生活道路で、「犯人が何度も通った道だったのでは」と考えている。 代里子さんは10月31日夜、あるニュースを目にした。1999年に名古屋市西区の自宅アパートで高羽奈美子さん(当時32歳)が殺害され、ようやく容疑者が逮捕された事件だった。 「良かった」。代里子さんは遺族の心境を思いながら「長く検挙を待ち望む私にも、希望をもらえる出来事だった」と振り返る。 ◇名古屋の遺族の活動、原動力に 高羽さんの夫悟さんは、事件現場を保存するため、賃料を払って血痕の残った部屋を借り続け、解決を願ってきた。 代里子さんは悟さんと面識はないが、「突然家族を奪われた苦しみを抱えながらも、解決の糸口を見つけ出そうとする姿勢に強く共感している」。 代里子さんは毎年、春と秋の交通安全運動期間中に地元のコミュニティーFMに出演し、事件を風化させないように情報発信を続けてきた。 事件の発生日には、現場近くで事件の詳細が書かれたチラシを配り歩き、情報提供を呼びかけている。 19年からは、死亡ひき逃げ事件の時効撤廃を求める署名活動を街頭やインターネット上で続け、国に提出してきた。「死亡ひき逃げは殺人と同じだ」と訴え、署名はこれまでに18万筆以上が集まっている。 悟さんも、被害者遺族の会「宙(そら)の会」の一員として、殺人事件などの時効撤廃を求める活動に取り組んだ。 世論の追い風を受け、10年に殺人罪などの時効は廃止された。代里子さんにとっても、この出来事は「活動を続ける原動力になっている」という。 ◇新たに寄せられた情報 名古屋の事件の容疑者が逮捕された後、代里子さんのもとには、ひき逃げ事件に関する情報が7件寄せられた。 「長い時間が経過しても逮捕は可能だという事実が改めて周知され、情報提供の増加につながったのでは」と受け止めている。 これまで届いた情報は全て警察と共有しており「別の未解決事件の検挙に役立つこともあり得る。今後も、提供を呼びかけていきたい」と語る。 26年の時を経て容疑者が逮捕されたという報道を、「息子をひいた犯人も見ているのではないか」と考えている。 「大切な家族がそばにいるのなら、真実を話し、付き添ってもらって自首してほしい」。その願いは、16年前のあの日から変わっていない。【加藤佑輔】 ◇ 事件に関する情報提供は、埼玉県警熊谷署(048・526・0110)へ。