ローラ・ビッカー(ソウル)、BBCニュース 「大統領は一体何を考えていたのか」――。韓国・ソウルで4日、市民の頭をよぎった最大の疑問の一つは間違いなくこれだ。 3日深夜の演説で、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は非常戒厳を宣布すると発表した。これにより国会は混乱に陥り、民主主義に対する韓国の真剣度が試されることになった。 だが発表から24時間もたたないうちに、尹氏は政治家として瀬戸際に追い込まれた。街中で抗議行動が起き、尹氏に対する弾劾訴追手続きが進行中だ。 一体、何があったのだろうか? ■「権力を掌握」しようと 韓国で非常戒厳が最後に敷かれたのは1979年。当時の軍政トップがクーデターで暗殺されたことがきっかけだった。しかし、現在の韓国はというと、その頃や、その後に続いた抑圧的な時代とはかけ離れている。 この国は安定し、繁栄した民主主義国家だ。それにもかかわらず、尹氏は闇の勢力から国を救うためだとして、軍事政権下で用いられたような体制を敷くと主張した。尹氏は野党が支配的な国会を、政府を「まひさせようとしている」「犯罪者の巣窟」と呼んだ。 その数時間後、憤った抗議者や議員らが国会の外に集結。議事堂内にたどりついた国会議員たちが4日未明に、非常厳戒の解除を求める決議案を可決したことで、尹氏は手を引かざるを得なくなった。 尹氏の衝撃的な宣言は、実のところ、2022年に韓国史上最も僅差で大統領に選出された尹氏が実現できずにいた、「権力の掌握」を目的としたものだった。 大統領に就任以来、尹氏の周辺で論争が起きない月はほとんどなかった。 2022年10月には、ソウルの繁華街・梨泰院でハロウィーンを前に集まった多数の人が倒れ、159人の若者が死亡した雑踏事故が発生。政府は対応について批判を浴びた。 妻をめぐっても、高級ブランドのディオールのバッグを受け取ったとされる疑惑が浮上。妻を調べるべきだという声が上がった。このスキャンダルは常に、トップニュース級の注目を集めている。 今年4月の総選挙(定数300)では、与党「国民の力」(PPP)は108議席にとどまり、単独過半数の175議席を獲得した最大野党「共に民主党」(DPK)に敗れた。以来、尹氏はレームダック(死に体)状態となっている。今週も国の予算をめぐり、野党議員らとの政治闘争のさなかにいた。 ■3日夜の演説からわかること 国民の権利を制限する非常戒厳の宣布を発表する以前から、尹氏の支持率は20%を下回っていた。 3日夜の演説には、尹氏が何を考えていたのかを知る手がかりがいくつかある。 すぐに分かったのは、野党が支配的な国会にいら立ちを覚えているということだった。尹氏は演説の中で、野党が権限を行使する国会を「自由民主主義体制を破壊する怪物」と呼んだ。 尹氏は北朝鮮の脅威や、「反国家勢力」にも言及した。このことからは、リベラルな政治家に「共産主義者」のレッテルを貼るような、韓国の右寄りの保守派からも支持を集めたいと考えていたことがうかがえる。 しかし、大統領は自国と、その政治を見誤ってしまった。 尹氏の宣言は、韓国で多くの人が忘れようとしてきた時代を思い起こさせる、背筋が凍る出来事だった。テレビに映るニュースキャスターは震えているように見えた。 1980年に民主活動家(その多くは学生)が光州市の街頭に立ち、非常戒厳に抗議した際、軍は暴力で対応し、約200人を殺害した。 非常戒厳が続いたのは1979年から1981年までの3年間だったが、軍政はその数十年前から1987年まで続いた。その頃の韓国は、反政府活動家が共産主義のスパイとされたり、逮捕や殺害されたりするなど、疑念に満ちていた。 尹氏は2022年の大統領選で、1980年の光州事件で抗議デモの参加者を虐殺した権威主義的な当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領について、民主活動家への弾圧を除けば、政務をうまく管理していたと称賛していた。 この発言をめぐり、後に謝罪を余儀なくされた尹氏は、自分は「間違いなく、全政権を擁護あるいは称賛などしていない」と述べていた。 だが、全氏に関する発言から、尹氏の「権力観」というものが見えてくる。 韓国政界では数カ月前から、尹氏が非常戒厳の発動を検討しているといううわさが流れていた。9月には、野党指導者たちや党員が、その可能性を明言していた。ほとんどの人は、極端すぎる選択肢だとして取り合わなかった。 ■恐怖に駆られた? 尹氏はもしかしたら、もっと別のものに駆られていたのかもしれない。訴追されるのではないか――という恐怖だ。 韓国初の女性大統領だった朴槿恵(パク・クネ)氏は、権力乱用と汚職の罪で有罪となり、投獄された。朴氏の前任である李明博(イ・ミョンバク)氏は、株価操作に関与した疑いで捜査を受け、2020年に汚職と収賄の罪で懲役17年の判決を受けた。 盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は、数百万ドルの賄賂を受け取った疑いで捜査を受け、2009年に自ら命を絶った。 韓国では、訴追がほとんど政治的な手段、つまり、野党側が行使する脅威となっている。今回、尹氏が思い切った行動に出た理由の一端は、これに関係しているのかもしれない。 動機がなんであれ、尹氏は自身のキャリアを現状から回復するのに苦労するだろう。それに、辞任要求にも直面しているし、身内の与党「国民の力」のメンバーが尹氏の除名について議論していると、一部の地元メディアが報じている。 韓国は、安定しているが、何かと騒がしい民主主義国家だ。そして、権威主義的な命令は受け入れないとはねつけた。 国民は、この国の民主主義に対する1980年代以降で最も深刻な挑戦を拒否した。尹大統領は今や、議会と国民による審判に直面している。 (英語記事 The South Korean president's martial law gamble backfired: What was he thinking?