「鷹野隆大 カスババ ―この日常を生きのびるために―」(東京都写真美術館 2月27日~6月8日/広島市現代美術館 9月27日〜12月7日) 最近、「キュレーションとは?」と考えている。昨年度に光州ビエンナーレで日本館のディレクションを担当したこと、あるいはキュレーション史にまつわる論文(近刊)を執筆したことなどがきっかけだ。オブリストやエンヴェゾーあるいはブリオーら積極的に文脈を構築する才気煥発型キュレーターの時代を経て、昨今、より多彩なキュレーター像が求められていると感じる。その点、「カスババ」展は興味深かった。鑑賞者を誘導する強い導線をあえて準備せず、展示室内にテキストによる解説は一切なかった。代わりに、会場入口に作家によるステートメントが掲示され、配布されたハンドアウトには短い解説が付されていた。観る者の自由度という意味で、たくさんの人と議論したいと思った展覧会のひとつ。 ウトロ・アートフェスティバル 2025(ウトロ平和祈念館、ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川、同志社大学 10月10日〜11月10日) 日本の民族的排外主義と人種差別の勢いは衰えを知らない。2021年、京都府宇治市のウトロ地区で放火事件が発生し、当時、開館を間近に控えたウトロ平和祈念館に所蔵される予定の資料が消失した。逮捕された22歳の男は、その動機として在日コリアンへの敵対感情を語った。そのなか、京都の在日コリアン・コミュニティを抱え、戦争と植民地主義の背景から生まれたウトロ地区で芸術祭が開催されたことは―その歴史とともに―記憶に刻まれるべき。あくまで「大韓民国との」国交正常化である点には留意が必要だが、2025年は韓日国交正常化から60年を迎える。自国の加害の過去をめぐる忘却と対峙すると同時に、その営みにおいてアートがもつ可能性を考えたい。 Under Commons / アンダーコモンズ(Art Center NEW 10月25日〜11月16日) 展覧会のコンセプトを興味深く思う気持ちと実際に鑑賞して「ピンとこない」感じがあるとき、そのギャップについて考えることを大事にしている。そこには自分が無意識に「当たり前」とする前提を再考するヒントが隠されているからだ。本展はビデオゲームに焦点を当て、実際にプレイすることができる形式を採用する。ぼくが最初に「ピンとこなさ」を覚えた理由は、おそらくビデオゲームに詳しくないことより、「クィア」をテーマとする出展作が非線形的な時空間軸に沿って展開されることに因る。クィア概念はgoal(最終目的、終着点)へ向かう直線的時間と、それに基づいて配される空間感覚をかき乱す。オルタナティブな展覧会形式の実験的模索として、世代や関心の異なる人と感想を語り合いたい。