1970年(昭和45年)3月31日、共産主義者同盟赤軍派のメンバー9人が、羽田発 福岡行き日航機「よど号」を乗っ取りました。その後、福岡空港と韓国の金浦(キンポ)空港を経て北朝鮮の平壌に渡り、よど号が羽田空港に戻るまでの緊迫した6日間を振り返ります。(アーカイブマネジメント部 森 菜採) ■ハイジャック事件発生 事件発生日の午前7時半頃、富士山近くを飛行中の羽田発 福岡行きの日本航空351便よど号(乗客131人・乗務員7人)が、日本刀や鉄パイプ爆弾等で武装した赤軍派を名乗る9人にハイジャックされました。 犯行グループは「軍事訓練を受けてから、また日本に戻り活動するため」として北朝鮮行きを要求します。しかし機長の機転で“給油のため”として午前8時59分に福岡空港に着陸。そこで乗客の一部である女性と子供など23人を解放しました。 その後よど号は、まだ100人以上の乗客乗員を乗せたまま13時59分に再び飛び立ち北上。 ハイジャック犯達はそのまま北朝鮮の平壌(ピョンヤン)に行くことを要求していましたが、15時16分に韓国ソウルの金浦空港に着陸しました。 金浦空港への着陸は、元韓国空軍管制官の証言などからも、北朝鮮への渡航を阻止したい韓国側の意図が働いた結果と言われています。 ■犯人グループとの交渉 金浦空港に到着後、ハイジャック犯と橋本登美三郎運輸大臣(当時)との交渉が始まります。 しばらく膠着状態がつづきますが、ハイジャックされて4日目、山村新治郎運輸政務次官(当時)が身代わりとして人質となり、そのかわりに乗客・乗員を解放する話がまとまりました。 韓国側とも交渉の末、人質解放後に北朝鮮の平壌へ出発する許可が出されました。 ■金浦空港での人質交換〜平壌へ出発 そして4月3日の14時27分、人質交換が行われます。 乗客99人と客室乗務員4人は79時間ぶりに解放され、山村運輸政務次官がよど号に乗り込みました。 18時05分に金浦空港を離陸し、よど号は平壌に向かいました。