男子ゴルフの国内ツアーで最多の通算94勝を挙げている尾崎将司(おざき・まさし)さんがS状結腸がんのため23日、午後3時21分に死去した。78歳。「ジャンボ尾崎」の愛称で絶大な人気でゴルフ界をけん引したレジェンド。スポニチ本紙歴代担当記者が尾崎さんとの思い出を振り返り、故人の死を悼んだ。 現役時代は周囲に近づきがたいオーラを発していたが、心根は優しい人だった。 全盛時の1990年代、バブル崩壊で親族が投資に失敗し、多額の負債を背負うことになった。「習志野のホワイトハウス」と呼ばれていた豪邸も借金の抵当に入る苦境に陥った。そこに救いの手を差し伸べたのが、ある新興のゴルフ用具メーカーだった。巨額の契約を結んだが、その会社のトップが賭博開帳図利容疑で逮捕され、すべてがダメになった。 その直後の日本プロ選手権のことだった。プレーオフの末に2位となる意地を見せたが、内心はゴルフどころではなかった。最終日の翌日に自宅に会いに行った時に突然「なんで俺が日本プロでサンバイザーを被っていたか分かるか?」と聞かれた。確かに当時のジャンボさんはキャップを被ることが多かったので、その理由を尋ねると「お天道様の力が必要だったからだ。(逮捕のショックで)体の中からエネルギーが出てこない。だから太陽の力をもらおうと思って直接頭に日があたるバイザーにしたんだ」と言われた。ゴルフ場では周りを見下ろすような態度で、決して弱みを見せない人だった。だから珍しく気弱なことを口にしたので、驚いたことを覚えている。 そして、こうも続けた。「俺はあの会社が良い会社に成長していくと思っていた。そうなればゴルフ界も良くなる。おまえらだって良い目にあえるはずだと思っていた」と真顔で言われた。ジャンボさんはその会社の背景がどんなものか無頓着で、まっとうなビジネスを行っているところだという関係者の説明を信じて、全く疑っていなかった。ゴルフに人生をささげ、それ以外のことは気にとめず周りに任せっきりの純粋な人だった。 そんなゴルフ界のスーパースターだったジャンボさんのアイドルが長嶋茂雄さんだった。長嶋さんが亡くなった年の年末に、後を追うように駆け足で旅立っていったのもジャンボさんらしかった。でも、そんなに急がなくても良かったんじゃないですかと、今は寂しい思いが募るばかりだ。(特別編集委員・大渕 英輔)