「大逆事件」を語り次ぐサミット 犠牲者の故郷で国家による「冤罪」の背景に迫る

今から約100年前、明治末期に全国で社会主義者らが天皇殺害を計画したなどとして、旧刑法の大逆罪(皇室危害罪)に基づいて弾圧された事件を語り継ぐ第6回「大逆事件サミット」が、10月25日に岡山県井原市で開かれた。 「大逆事件」は1910年以降に摘発された四つの事件の総称だが、一般的には幸徳秋水や森近運平が謀議したとされ、刑死(11年)した事件を指す。この事件では大逆罪で26人が起訴され、24人に死刑判決。翌日に天皇の「恩赦」で半数が無期懲役に減刑されたが、残る12人は1週間後に死刑が執行された。 「大逆事件サミット」は2011年に幸徳秋水の生誕地である中村(高知県四万十市)で行なわれた第1回を皮切りに各地の持ち回りで開かれており、今回の開催地・井原市は森近運平の出身地。明治初期の社会主義者や無政府主義者の多くが都市の工場労働者たちをオルグの対象としたのに対して、森近は農業改良に尽力。岡山県庁に勤務し、日露戦争での戦時国債を買わないよう呼びかけたことで罷免され、明治期の日本社会党結成に参加。『大阪平民新聞』を創刊するなどして活躍した人物だ。 今回の集会には、中村や和歌山県新宮市(6人有罪、2人刑死)など過去の開催地や、オーストラリア在住の日本研究者など海外からも含む約200人が参加した。当日は明治大学の元副学長で初期社会主義の研究者として知られ、「大逆事件の真実をあきらかにする会」事務局長を務める山泉進さんも発言。大逆事件の研究では、ほとんどの被告が天皇の暗殺計画に関与していない冤罪だったことが明らかになっているが、それは検察の誤認や不作為だけによるものではないと指摘。むしろ背景には日露戦争に邁進していた明治政府に対して反対の声をあげていた反戦論者、とりわけ社会主義者や無政府主義者を根絶やしにする意思、つまり「国家による犯罪」があったことが研究の結果として見えてきたと解説した。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加