伊藤詩織さん「Black Box Diaries」 複雑化する「現実」にボロボロと言葉が落ちていく 北原みのり

作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は「Black Box Diaries」について。 * * * 「詩織さん」のことを、ずっと考え続けている。映画「Black Box Diaries」を巡って起きていることを前に、伊藤詩織さん個人についてというよりは、「詩織さん」が象徴してきたものが何だったのかを振り返るような思いだ。 私は朝日新聞出版「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」の執筆者として、伊藤さんを長期にわたって密着取材したことがある(2018年7月~2019年1月)。そのことをきっかけに、伊藤さんの民事裁判を支援する会を立ち上げた(2019年4月)。もちろん山口敬之氏を訴えた民事裁判の傍聴もした。 私の人生のある一時期は、「詩織さん」の闘いを支えたいという思いに突き動かされていた。もちろん、誰に頼まれたわけではない。むしろ押しかけるようにして私は伊藤さんに自ら近付いたのだ。伊藤さんの勇敢さに胸を打たれ、支えたいと本気で考えたから。 そんなふうに「なんとか『詩織さん』を支援したい」と行動した人は、無数にいた。そもそも私が声をかけるまでもなく、様々な女性団体が伊藤さんの支援に名乗り出ていた。それらをほぼ断っていた詩織さんに理由を聞くと、「多くの性被害者が苦境にあるのに、自分だけが支援を受けてもいいのか」という葛藤があると話してくれた。 それでも、裁判となれば伊藤さんと弁護団を資金と世論で支えるプラットフォームが必要になるはず!……という説得に伊藤さんが応じたことから、「Open the Black Box」という支援の会を立ち上げることができた。それは「伊藤さんのため」というよりは、「伊藤さんを具体的に応援できる窓口」を「私たち」が必要とした結果だった。被害を訴えてから4年を経て、伊藤さんはようやく支援者を広く受け入れてくれたのだ。 伊藤さんの裁判支援の会の立ち上げ集会は2019年4月10日水曜日に行った。その日付を私がソラで言えるのは、その翌日に初めてのフラワーデモを呼びかけたからだ。日本の、まるで手に触れるように実感できた2日間だったのだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加