1943年ドイツ、2026年米国【コラム】

私は寒い冬の街に立ったドイツ市民の姿を土で形作った。1943年、ベルリンに住んでいた普通の女性。 1933年にアドルフ・ヒトラーが政権を握った。ユダヤ人の夫を持つドイツ人女性は、夫と離婚するよう圧力を受けた。1943年2月、「首都ベルリンをユダヤ人がいない都市にする」とヨーゼフ・ゲッベルスは決意した。 2月27日、ベルリンに住むユダヤ人1万人が逮捕された(工場作戦)。男たちはベルリンの各所に連行された。ドイツ人配偶者を持つユダヤ人2000人は、ローゼンシュトラーセ通りの建物に押し込められた。妻たちは翌日朝から通りに集まり、デモを行った。「ローゼンシュトラーセの曲がり角を回ると、私はあごが外れそうになった。ヒトラーが政権を握ってから、ベルリンの街頭でこのような光景を一度も見たことがなかった」。親衛隊(SS)と警察が銃を持って阻止しようとしたが、女性たちは退かなかった。 毎日、数百人の女性が集まった。逮捕すると脅したが、女性たちは気にしなかった。3月1日夜には英国空軍がベルリンを爆撃した。女性たちは解散したのち、再び集まった。「夫を返してほしい」。凍てつく寒さのなか、シュプレヒコールを上げ、手をつないだ。3月5日には軍人が機関銃を設置した。「殺人者!殺人者!」。女性たちが叫ぶと、軍人たちは退いた。 3月6日、ナチスはローゼンシュトラーセに収容していたユダヤ人を解放した。ドイツ軍がスターリングラードの戦いで敗れた直後のことだった。他の地域に抵抗が広がるのではないかと恐れていた。しかし翌日、男たちをふたたび拘束した。戦争が終わるまで、彼らはベルリン近くの収容所に閉じ込められた。しかし、家族との面会が許され、命は救われた。ローゼンシュトラーセ抗議デモは、ナチス政権期に唯一成功した公開の場での集団抵抗運動だった。 「(この逮捕は)単に追放者の数を増やすためのものではない。恐怖を作り出すためのものだ。われわれが自ら消えるよう仕向けているのだ。しかし、われわれは消えることを拒否する」。1943年にローゼンシュトラーセで生まれた言葉だろうか。いや、違う。移民関税執行局(ICE)が移民を無差別に拘束し追放している2026年の米国で発せられた言葉だ。 キム・テグォン|漫画家 (お問い合わせ [email protected] )

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