「政治が底を抜いた時代」に学ぶべき、ビクトル・ハラの遺産──独裁に抗う音楽の力【チリ】

チリの国民的フォーク歌手、ビクトル・ハラ(Víctor Jara, 1932-1973)。社会正義を歌う彼の音楽は、抵抗のシンボルとして世界中で歌い継がれている。国際法を専門とするニューヨーク在住の弁護士、クリスティーナ・ヒオウレアスが語る、抵抗の音楽から私たちが学ぶべきこと。 * 1973年9月11日、チリで軍事クーデターが起きた数日後のことだ。フォーク歌手でありギタリストでもあったビクトル・ハラは拘束され、ピノチェト独裁政権によって大規模な拘留施設へと変えられたスポーツ競技場「エスタディオ・チリ」に連行された。そこで彼は拷問を受け、処刑された。 拷問者たちは彼の両手を粉砕した上で、競技場内を引き回し、ギターを弾いてみろと嘲笑した。この残虐行為は象徴的なものだった。ハラは公人であり、その作品が民主主義への熱望や労働階級の地位向上と深く結びついたミュージシャンだった。彼の音楽は「千挺のマシンガンよりも強力」と言われるほどだった。彼を沈黙させることは大衆を黙らせることを意味していたが、そうはならなかった。 ハラの歌は、録音や記憶、そしてチリ国内および国外のコミュニティによって歌い継がれ、生き残った。彼が殺害されたスタジアムは、現在彼の名を冠している。彼の音楽は数世代を経た今も、ジョーン・バエズやブルース・スプリングスティーン、さらにはバッド・バニーに至るまで、さまざまなアーティストによってカバーされ続けている。 あいにく、法の下での責任追及は、権威主義体制が打倒されてから長い年月を経てようやく実現する傾向にあり、ハラの場合もそうだった。数十年にわたる捜索の末、責任者である元中尉が、政権崩壊後にチリを逃れフロリダに潜伏しているのが発見された。CJA(Center For Justice & Accountability:サンフランシスコに本部を置く国際的な非営利の人権団体)と共に、私と同僚たちはフロリダ州中部地区連邦地方裁判所において、外国人不法行為法および拷問被害者保護法に基づき、恣意的な拘禁、拷問、超法規的殺害、および人道に対する罪で彼を提訴した。 このように、責任の追及が遅れることはあっても、音楽は社会が体制を拒絶し、責任を問い、移行期的正義へと向かうための原動力の一部であり続ける。 権威主義体制は常に音楽の力を恐れてきた。公演の禁止から投獄、追放、拷問、あるいはそれ以上の仕打ちに至るまで、独裁政権は政治的な不満を共通の言語へと変えるミュージシャンを繰り返し標的にしてきた。数十年にわたり、また大陸を越えて、権威主義政府は抗議の音楽に対して驚くほど一貫した反応を示してきた。 アパルトヘイト時代の南アフリカでは、歌手のミリアム・マケバが体制を批判したことで数十年にわたる亡命を余儀なくされ、彼女の音楽は海外で広まる一方で本国では禁止された。1960年代の軍事政権下のギリシャでは、ミキス・テオドラキスの音楽が布告によって禁止され、作曲家自身も投獄・追放された。冷戦時代のチェコスロバキアでは、地下活動を行うミュージシャンたちが国家公認の美学に従うことを拒んだために、ライセンスを剥奪され、逮捕や嫌がらせを受けた。 より最近では、トルコのクルド人アーティストであるヌデム・ドゥラク、中国のウイグル人ポップ歌手アブラジャン・アウット・アユップ、ロシアのバンド「プッシー・ライオット」などが、広範な国家安全保障法の下で訴追されている。彼らは反体制的とみなされた歌詞によって拘留されたり、公式の言説に異を唱えるパフォーマンスによって過激派のレッテルを貼られたりしている。いずれのケースにおいても、国家側の反応は共通の不安を露呈している。つまり、権威主義は恐怖だけでなく、人々の「分断」に依存しているということだ。抗議の音楽は、抵抗のサウンドトラックを作り上げることで、その逆を行う。 体制側が過敏に反応するのは、音楽が、特に抑圧の瞬間において「力の倍増器」となるからだ。音楽はコミュニティを団結させ、批判的思考を促し、反対勢力を活気づけ、行動を促す。 私たちは最近、その片鱗を目にしている。ICE(移民税関捜査局)の強制捜査やプエルトリコの植民地化、中南米に対する言説に反応し、団結と愛を訴えたバッド・バニーのハーフタイム・パフォーマンスから、数十年前の抵抗の歌の再燃に至るまでだ。 それらの中には、ロドニー・キング裁判の文脈における制度的人種差別と警察の暴力を歌ったレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン「Killing in the Name」、クランベリーズによる究極の反戦アンセム「Zombie」、イラク戦争に抗議したシステム・オブ・ア・ダウン「B.Y.O.B.」、州兵によるケント州立大学での学生殺害を歌ったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「Ohio」、そして兵役を逃れるエリート層を批判したクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「Fortunate Son」などが含まれる。 あいにく、これらの歌の多くは今日、より切実な意味を持つようになっている。世界中の紛争で罪のない市民に対して行われている残虐行為から、国内におけるアメリカ人の超法規的殺害に至るまで、その状況は変わっていないからだ。

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