「子育ては愛情ではなく技術」 なぜ“理解不能な事件”は繰り返されるのか——子どもをうまく愛せない親たちの現実

子どもへの虐待が報じられるたび、SNSには「なぜ我が子を愛せない親なのか」という声が飛び交う。だが、児童虐待事件の背景には、発達の特性を抱えた親たちの困惑や、誰にも理解されないまま積み重なっていった子育ての行き詰まりがあるケースも多い。その現実について、家庭裁判所や児童相談所、そして数多くの臨床現場で親子を見つめてきた橋本和明氏による朝日新書『子どもをうまく愛せない親たち 発達障害のある親の子育て支援の現場から』から、一部抜粋してお届けする。 (著者注:発達障害者が子どもに虐待してしまうということではない。懸命かつ適切に養育している。一方で、その苦しみは社会的にあまり知られていない。この論考は筆者の研究や臨床における実体験をもとに構成している) * * * 2023年6月、神戸市西区において、スーツケースに入れられた6歳男児が草むらから発見され、母親とそのきょうだい3人が傷害致死と死体遺棄で逮捕された。この事件が発覚したきっかけは、同居していた男児の祖母が自宅に閉じ込められ、そこから逃げ出して救助を求めたことであった。その後の捜査機関の調べでは、母親ら4人がおそらく死亡した男児が入っているスーツケースを引きずりながらぞろぞろ歩いている異様な光景が防犯カメラに残されてあった。 ただこの事件で注目しなければならない点は、報道によると、母親を含めて逮捕された4人はいずれも知的なハンディキャップを抱えながら、地域社会や適切な支援から孤立していた可能性が高いということである。さらにもう一つ言えば、母親は家庭訪問をした区の職員に対して、亡くなった男児のことを「育てにくさがあり一時保護をしてほしい」と自らSOSを発信していたこともあったという。その叫びが、悲劇を防ぐ手立てにつながらなかった現実に目を向ける必要がある。 上記のように、児童虐待によって子どもが死亡したり重傷を負ったりするなどの事件は報道で取り上げられる。そのときはなんて残酷で悲惨な事件だと思いはするが、あまりにもこの種の事件が多すぎて、もはやわれわれの感覚が麻痺して、しばらくするとその事件は記憶の隅に押しやられてしまう。 ただ、そんな児童虐待の事件の中に被害者である子どもに知的な遅れや発達の遅れがあったり、加害者である親の方に知的もしくは発達の障害があったりすることをよく目にする。 考えてみると、子育てをする際にわが子ながらも手をやくようになってくると、親や大人の側にそのストレスが蓄積し、場面によってはイラッとくることだってある。そんなときに思いあまって子どもについ手が出てしまうというのは理解できなくもない。 ましてや子どもや親、もしくは双方に何らかの障害があるとすると、そのハンディキャップがあるゆえに思うように物事が進まず、葛藤が大きくなる。そして、通常ならそんな突飛で過激な行動手段を選ばないであろうと思われることも、本人の意図しないところでやってしまい、大きな事態を招いてしまう。 ■周囲からは異様で残酷で、時には理解不能でも… 筆者はこれまで家庭裁判所や児童相談所での現場や大学での心理相談室でのケースはもとより、犯罪心理鑑定や犯罪被害者鑑定の業務を通じて、発達障害が絡んでいる養育のあり方や親子関係をずいぶん見てきた。また、厚生労働省社会保障審議会専門委員として6年間、虐待で死亡した事例等の検証をしたり、近年では厚生労働省子ども家庭局(現・こども家庭庁)での「児童相談所における一時保護の手続等の在り方に関する検討会」の座長を務めたりするなど児童虐待全般にかかわってきた。そんな中で、先に述べたように、子どもに無関心であったり、愛情がわかなかったりするという親に数多く出会ってきた。 一見すると、周囲からは異様で残酷で、時には理解不能のように見られる子育てのありようではあるが、彼らの抱える障害の特性をしっかり理解していれば、それほど不思議ではないと思える。中には、ハンディキャップがありながらも、持っている能力を駆使して、上手に子育てをしている場面にも出くわす。 親の側に物事を捉える認知の歪みや特徴がある場合などは、ある場面では子どもに愛情をかけていたと思っても、別の場面に移った瞬間に親の視野から子どもが消えてしまい、子どもに無関心になって放任してしまうことだって大いにあると痛感させられた。 このような筆者の臨床経験から、認知に問題を抱える親に対して、いくら子どもに愛情をかけてあげなさいとか、親としての自覚と責任を持ちなさい、等と助言や指導をしたところでさほど効果は現れないことも学んだ。 ■子育ては愛情ではなく、技術である 本書で筆者が一番に主張したいことは、「子育ては愛情ではなく、技術である」ということである。こんな言い方をすると、発達障害のある親はわが子に愛情を持っていないとでも言うのか、親としての自覚や責任がないと言うのか、と批判されるかもしれない。 もちろん私もそう考えているわけではない。発達障害がある親も一般の親と同様に子どもに愛情を持ち、自覚と責任のもとで子育てに従事されている人がほとんどである。 ただ、筆者が言いたいことは、発達障害という特性があるゆえに、一般の子育て以上に彼らは困惑したり苦労をしたりすることがある、ということである。それを家族や周囲の者がまずわかっていなければならないのである。 次に、子育ては何も愛情だけがすべてではなく、技術を身につけることが大事なのだと言いたい。なぜならば、発達障害の人の中には、愛情などと抽象的なことを持ち出してもわかりにくかったり、それを持ち出すと逆に混乱したりする人だって大勢いる。それよりも、援助を求める親が具体的でわかりやすい技術を手にすることで、少しでも負担の少ない子育てとなり、それが子どもの健全な育ちにもつながると思う。それが筆者の言う「子育ての技術」なのである。 筆者がこの発達障害のある親の虐待について関心を持ち始めた頃、わが国はもとより諸外国にもそれに関する文献や研究は乏しかった。その後、発達障害そのものがかなり社会に浸透してきたこともあって、発達障害と子育てが関連する書籍や研究も見受けられるようにはなった。しかし、まだまだその数は少ないのが現状であり、本当に苦悩している親のところには届いていない。 その意味で、本書は発達障害があり、それゆえに子育てに今まさに奮闘されている親や、これから子どもを出産しようとされている親にぜひとも読んでいただきたい。また、この本の中には発達障害がある親に関することが多く持ち込まれているが、少し読んでみられるとわかるように、それは発達障害のない定型発達の親の方にも十分に通じることが書かれてある。そのため、よりよい子育ての方法やストレスを軽減できる養育を求められている方にも手に取ってほしい。 さらに言えば、筆者としては、この本は子育てを支援するさまざまな専門家にも大いに役立つはずなので、ぜひ、読んでほしい。そして、これまでの愛情論や責任論の子育てから解放され、そこに子育てという技術を提供する支援を考える一助になってくれると幸いである。 ■本書の構成(全9章) 第1章では、発達障害がある親がなぜ不適切な養育や虐待を行ってしまうのかを問題提起した。そこでは筆者がなぜこのテーマに関心を持つようになったのかということにも触れ、子育てには技術がなぜ必要なのかを説いている。 第2章では、養育を受ける子どもの方に発達障害がある場合を取り上げた。そこには愛着の形成不全の問題をはじめ、子どもの言うに言えない苦悩が隠されていることを述べている。同時に、子どもに発達障害があるために、親の側でも子育てのしにくさや不安などがあることを理解していくことの大切さを述べた。 第3章では、ここでもう一度立ち止まって、発達障害とはどのような障害なのかを考えることにした。われわれはわかったつもりになっている発達障害でも、その本質を見逃しているのかもしれない。まずは親も家族も支援者も発達障害ということをしっかり理解していくことから改めて考え直すこととした。そうでなければ、ボタンの掛け違いが生じてしまい、そこからもつれた糸がほどけなくなってしまう危険があるからである。 この第1章から第3章までがいわば長い導入の部分であり、次に続く第4章から第6章までは子育てに必要な大きな柱について取り上げた。まずは第4章の「社会性」、次の第5章の「コミュニケーション力」、そして第6章の「柔軟性」である。それぞれのことを論じるに際して、理解をしやすいように具体的な事例を紹介しながら進めて行くことにした。多くの事例を通じて、子育てのあり方を読者に考えてもらう機会となればと願うからである。 第7章に至っては、親の「認知」のあり方が虐待につながってしまう点について記述した。注意がそれやすかったり、偏ったりするような親の認知に問題がある場合、どのような子育てになるかを述べている。また、親のわが子への見方が実際の像とずれている場合や、親の自分自身に対する認知に歪みがある場合、さらには周囲の状況や危険を察知するときの認知のあり方に問題を抱えている場合など、それが虐待につながってしまうことも指摘した。 第8章では、そんな子育てに苦悩する親の子育てには「多様性」の視点が必要であると説き、そこに目をつけた子育ての乗り越え方を記述した。 そして、最後の第9章では、親が子育ての技術をいかに習得するかを親側の立場から論じるとともに、支援者側の立場でのかかわりの工夫についてもまとめた。 本書は単なる育児書ではない。子育てに苦悩する親やそれを手助けする家族や支援者に少しでもお役に立ちたいという思いから執筆した。そのために抽象的な論述は避け、具体的な事例を挙げながらわかりやすく述べたつもりである。 中には読者自身が自分にも思い当たることがあるかもしれないが、そんなときは子育てに苦労するのは自分だけではないと感じてもらえると嬉しい。また、読者が本書のどこかから子育ての技術を手に入れてもらえると、筆者としては大満足である。 なお、本書では多くの事例が取り上げられているが、いずれの事例も個人を特定することがないよう加工や修正がされていることをお断りしておきたい。 (本記事は朝日新書『子どもをうまく愛せない親たち 発達障害のある親の子育て支援の現場から』をもとに、内容を一部加筆・修正しています)

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