私が知る限りにおいて、「野武士」という言葉が、これほど似合う野球人はいない。 近鉄、太平洋・クラウン・西武で通算2452安打、465本塁打、1400打点。近鉄時代には「18歳の4番打者」として一世を風靡した土井正博だ。内角のボールをヒジをたたんでレフトスタンドに持っていく技術は一級品で、コーチとしても清原和博、松井稼頭央、中島宏之ら多くの高卒選手を超一流に育て上げた。 知将・野村克也の言葉に「人間的成長なくして技術的進歩なし」というものがある。翻って土井は、技術は教えても、人としてどうとかこうとかは、一切言わなかった。おそらく「自分は技術屋」と割り切っていたのだろう。 逆に言えば、そこが土井の最大の人間的魅力で、上司に媚びたり、おもねったりすることを良しとはしなかった。 にもかかわらず、74歳までコーチとしてユニホームを着続けることができたのは、多くの監督やフロント幹部が土井の卓越した指導能力に一目置いていたからだろう。 バット1本肩に担いだ渡世人――私の目にはそう映った。 土井には、よく話を聞きに行った。こと打撃技術に関する話で、この人の右に出る者はいなかった。自らが手塩にかけて育てた選手に対しては、どこまでも深い愛情を注いだ。その代表格が、西武入団時、自らと同じ「18歳の4番打者」として注目を集めた清原だった。