「元死刑囚の友人」実名・顔出しでの情報発信→事件をきっかけに保護司に 大友秀逸さんの18年 秋葉原無差別殺傷事件

2008年6月8日、歩行者天国でにぎわう東京・秋葉原で無差別殺傷事件が発生した。男はトラックで人をはねたあと、刃物で次々と襲撃。7人が死亡、10人が重軽傷を負う惨事となった。 そんな凄惨な事件の「犯人の友人」として名乗り出て、情報発信を続けているのが大友秀逸さんだ。事件の3年前まで、加藤智大元死刑囚が勤めていた仙台の警備会社で二人は同僚であり友人だった。退社後もメールや電話で親交は続いていたが、やがて疎遠に。そんな時に秋葉原で事件は起きた。 事件当時、大友さんは秋葉原の近くに本社がある警備会社に勤務していた。「なぜ連絡ひとつもよこさなかったのか」「こんなに近くにいたのに」と、後悔と怒りが今も消えないという。 翌日、万世橋署に向かった大友さん。「どうしても伝えたいことがあった」と、衝動的な行動だったそうだ。「『会えませんか』と言ったら、当然会えるわけなくて。自分としては逮捕されてもいいから、車に向かって蹴飛ばして『なんで電話よこさなかった』と言ってやろうと」と振り返った。その後も手紙や差し入れなどを続けたが、本人からは何の返事もなかった。 それと同時に大友さんが始めたことが、実名・顔出しでの情報発信だ。SNSで「秋葉原事件加藤智大の元同僚で友人です。どなたでもご意見や質問などございましたら自由に書き込んでください」とプロフィール欄に記載すると、反響は大きかった。 「加藤智大の母親が毒親だと表現をする人が多くて。『自分も毒親に育てられた人間で、いずれ加藤になりますか?』という相談が多くて。あとは加藤を神格化している人が一部いて、やっぱり自分自身も母親、父親に対して報復したいけどできないことを『加藤様が自分ができないことをやってくださった』みたいな。延長線上で無差別殺傷事件を起こすと主張する人が非常に多い」(大友さん) 毎日のように届くメッセージに、大友さんは返信を書き続けた。会いたいと言われれば会いに行き、その人々の悩みや主張に耳を傾ける。 「取材を受けます、新聞出ます。そうすると、亡くなった人を語ってそれで金銭を得ているんじゃないかと。だから、あることないことを適当に語ってお金儲けをしているのではないか、という批判は非常に多くて。それは違うと説明させていただいて」 元死刑囚の友人として事件を語る代償は大きかった。勤めていた会社では干され、住んでいたアパートからは契約解除を通告された。それでも大友さんは活動をやめなかった。 被害者を生まないために、自分は何ができるのか。考え抜いた末に大友さんがたどり着いたのは保護司だった。加藤元死刑囚の死刑が執行された翌年、大友さんは保護司として活動することを認められ、犯罪や非行をした人の立ち直りのサポートをしている。 すべてはあの事件がきっかけだったが、大友さんは「取っ掛かりは秋葉原事件かもしれないけど、違う形でもどんどん繋がっていけているので、今後も可能な限り自然体で。どこに漂着して、そこで人生が終わるかはその時にならないと分からないですけど」と語った。 大友さんは「元死刑囚の友人」を現在もやめてはいない。 (『ABEMA的ニュースショー』より)

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