カメラは男の狂気を捉えていた。これは猟奇的殺人事件を犯す男に偶然、1年前から密着していた戦慄の犯罪ドキュメンタリーだ。 『イントゥ・ザ・ディープ:殺人発明家の深層』(ネットフリックスで配信中)は手作りの潜水艦を造り、民間ロケットで宇宙を目指す“天才発明家”と彼を慕う仲間たちの挑戦や失敗を描く物語になる……はずだった。主人公はデンマークの発明家ピーター・マドセン。2016年、エマ・サリヴァン監督は世界初のアマチュア宇宙飛行士を目指すマドセンと彼の仲間たちを撮り始める。マドセンはカメラの前で壮大な夢を語り、人々を魅了するカリスマ性があった。変人だが魅力的な男と無謀な夢に賭ける若者たちの物語。観客ウケしそうな良い企画だ。 だが翌年8月、取材で彼の潜水艦に二人きりで乗ったスウェーデン人の記者キム・ウォールが行方不明に。潜水艦は沈み、マドセンだけが辛くも救助された。 「彼がどんな人か知ってる。彼は真っ先に彼女を助ける」 仲間たちはそう信じたが、彼女の遺体が発見され、マドセンが殺人犯として逮捕される。事故、失踪、疑惑、困惑とまるでジェットコースターのような急展開だ。 通常の犯罪実録モノは、ある結末や決着の視点から描かれ、事件後の証言で犯人像を組み立てるのが常道だ。だが、本作のカメラはこれから何が起きるか、犯人以外誰も知らない時から回っていた。夢に向かって仲間と協力し、笑い声や挫折、興奮を間近で記録していた。その中心にいたのはバイタリティー溢れる発明家マドセンだ。本作は時系列をただ追うのではなく、事件後の現在と無邪気な過去の映像を交差させながら、監督自身が見た光景を観客に追体験させてゆく。その場での彼の表情、冗談、視線、沈黙が二つの時空間を重ねて見ることで突然、別の意味を持ち始めるのだ。 「偉大な英雄か、あるいは犯罪者として歴史に残る」 撮影時はただの大言壮語に聞こえたマドセンの言葉が殺人予告のように響く。時間を折り畳み、偶然手にした素材を息の詰まるサスペンスとして見せる。彼は自らを指差しこんな問いも。 「サイコパスは(自分自身がサイコパスであるという)自覚があるのか?」 この奇妙な問いは彼だけでなく、彼を信じた仲間、撮り続けた監督、そして観客にも突きつけられる。マドセンの溢れる自信や饒舌なユーモアを目にした時、果たして人はどれだけ違和感や狂気を感知できるのか。恐ろしいのは、これほど近くで接してもサイコパスを見抜けないという事実だ。タイトルにある「ディープ」は潜水艦が潜る海の深さだけでなく、この事件の底、人間心理の底、カメラが知らずに覗き込んでいた仄暗い真実の底をも想起させる。 「ディープ」と言えば、特にマドセンと親しかった女性証言者の顔をモザイクではなく、ディープフェイクで加工し“架空の顔”で見せる演出も興味深い。匿名性を守りながら彼女の表情を残し感情を伝える手法だ。かつて「映像は真実を記録する」と言われたが、もはや観客は自分が見ている映像がリアルか、フェイクか、疑って見る必要がある。本作はその真贋をも試される二重構造となっているのだ。 INFORMATIONアイコン『イントゥ・ザ・ディープ:殺人発明家の深層』 ネットフリックスで配信中 https://www.netflix.com/jp/title/80239100