「警察にだまされた」検察関係者が異例の証言 無罪見通し「日野町事件」 無念のうちに父亡くした長男は怒り「だまされたレベルの話ではない」

1984年に起きた強盗殺人事件「日野町事件」。発生から約3年後に逮捕・起訴された阪原弘さんは、裁判では無実を訴えながらも、15年前に病死しました。家族が再審を求め、今年2月に再審が確定し、阪原さんには無罪が言い渡される見通しです。 こうしたなか、当時事件の捜査にかかわった検察関係者が私たちの取材に初めて重い口を開きました。検察関係者の話から見えてきた、冤罪が起きる背景について考えます。 ■38年に及ぶ冤罪との闘い 1984年の年末、滋賀県日野町で酒店を営む女性が行方不明になりました。その後、宅地造成地から遺体が見つかり、山の中から女性の手提げ金庫が見つかりました。 捜査が難航する中、発生から3年後、強盗殺人の疑いで逮捕されたのが、酒店の常連客だった阪原弘さん(当時52)でした。 しかし、家族は当初から逮捕は不当だと訴えていて、そこから長い闘いが始まります。 「冤罪犠牲者・阪原弘の長男で、阪原弘次と申します」 ■逮捕の決め手となった「自白」その裏に苛烈な取り調べと脅し 逮捕の決め手となったのは弘さんの自白でしたが、苛烈な取り調べや家族を引き合いに出した脅しによるものだったといいます。 (弘さんの妻 阪原つや子さん)「うちのお父さんは本当に純情な良い人。私たちにとってはそこがいいんですけれども、子どものまま大きくなってきたような人なんです。それで、もし警察なんかにかかったら、子どもの手をねじるようなもんです。そんなことをするはずもないのに」 阪原弘さんの息子・弘次さん(65)は、38年間、巨大な権力と闘い続けるとは思ってもみませんでした。 (弘さんの長男 阪原弘次さん)「『お前の(娘たちの)嫁ぎ先へ行って、家の中をガタガタにしてきたろかと言われたときには、もう父ちゃん我慢できんかったんや。父ちゃんは何もやってへん。何もやってへんさかいに、誰が信用してくれんでも、お前らだけは信用してくれ』。それが逮捕される前日の夜の話でした」

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