600人――この数字は、もし事実であればシリアルキラーによる史上最多級の殺害人数となる。その驚異的な数字を自ら言い放った男、ヘンリー・リー・ルーカスをご存知だろうか?疑惑の自供を繰り返し、アメリカ犯罪史において大きな論争を巻き起こしたこの“コンフェッション・キラー”の犯行や日常を淡々と描いた『ヘンリー』(86)が、8月28日からリバイバル上映されている。本稿では、その半生を振り返っていきたい。 ■虐待を受けた幼少期、そして母親殺しへ 今年6月に映画が公開されたエド・ケンパーなど、多くの連続殺人鬼と同様に、ヘンリーは壮絶な幼少期を過ごしている。1936年8月にバージニア州ブラックスバーグで9人兄弟の末っ子として生まれると、鉄道での労災で両足を失った父アンダーソンと、アルコール依存症だった父と同じ依存症だったとされる娼婦の母ヴィオラ、そして兄弟たちと共に丸太小屋で育った。 両親からの虐待はひどく、幼い頃から父親から酒を飲ませられ、8歳の時には母親に角材で頭を殴られ、3日間昏睡状態に。また10歳の時には兄弟との遊びで左目に怪我を負ったがそのまま放置されたため11歳で義眼を入れることになった。さらに母からは公の場での女装を強いられ、また異母兄や叔父から獣姦や動物虐待を教え込まれていたという。 彼の信憑性の低い供述によると、14歳の頃にバス停で見知らぬ10代の少女を誘拐し、殴って意識を失わせ、強姦した末に絞殺。初めての殺人を経験した。その後、異母兄と共に窃盗で逮捕されるなど犯罪を繰り返し、1959年に刑務所を出所。ミシガン州テクムセにある異母姉の家に引っ越すが、ほどなくして母が現れ、自分の面倒を見ることを強要。やがて口論の末に母の首を刺して殺し、1960年、第二級殺人罪で有罪となった。 ■相棒オーティスとの共同生活&連続殺人のスタート ジャクソン州立刑務所で20〜40年の懲役刑を言い渡されたにもかかわらず、刑務所の過密に伴い、1970年に10年で釈放されたヘンリーだったが、少女誘拐により再び入所することに。3年半の受刑中に手紙で交友を深めた従兄弟の未亡人ベティと釈放後の1975年に結婚。しかし、彼女の2人の娘に性的虐待をしたと訴えられ、この生活もすぐにご破算となってしまう。 この頃からアメリカ南部を放浪するようになり、その日暮らしの生活を送るなかで女性をねらった連続殺人を起こし始めたとか。1976年に共犯者となるオーティス・トゥールと炊き出しで知り合うと、フロリダでオーティスの両親と共に生活を送ることに。また軽度の知的障害を持つオーティスの姪である11歳の少女ベッキーとも親しくなっていく。 なおルーカスと共に多くの殺人を犯したことを自供しているオーティスは、フロリダ州ハリウッドの百貨店シアーズで6歳の少年が誘拐されたのち、切断された頭部が用水路で見つかった1981年の「アダム・ウォルシュ事件」の犯人として結論づけられた人物(物的証拠に乏しく異論が唱えられている)。放火殺人など数々の事件で逮捕されている。 ■逮捕後も真偽の不確かな発言で警察を翻弄 1982年、ベッキーの祖母と母が亡くなると、児童福祉局から逃げるため、ヘンリーはベッキーと共に駆け落ち。車上生活を送りながら、テキサスで82歳のケイト・リッチの世話をする仕事に就く。その後、ペンテコステ派の共同体に身を寄せ小さなアパートで暮らすが、ベッキーが行方不明となり(ヘンリー曰く、ホームシックになりテキサス州ボウイーにあるトラック停留所から発ったそう)、彼女の捜索を手伝ったリッチもまた行方不明となる。 その後、銃火器違法所持の容疑で逮捕され、ルーカスはベッキーとリッチの殺害を告白したことを皮切りに、100件以上の殺人を告白。殺人の自白は続き、最終的には600件以上の殺人を自白したとも言われている。なお、いくつかの未解決事件に対して確証があると考えられ、特別捜査班が設立された。 獄中から捜査に協力していたヘンリーは、当時、大量殺人の容疑者ながら警察署内部や刑務所内部を自由に行き来することが許されるなど、寛大な待遇を受けており、セキュリティドアの暗証番号すら知っていたとか。VIP扱いを受けていたヘンリーだったが、しだいに矛盾が生じるなど証言が破綻していく。 信憑性を見極めるため、警察が架空の事件をでっち上げたところ、存在しない事件についても殺人を自白。また信用がないと考えられた供述には、ジミー・ホッファの失踪への関与やジム・ジョーンズによるガイアナ人民寺院事件への毒物提供などもあったという。 結局11件の事件で有罪となり、死刑判決が下されたものの、当時のテキサス州知事ジョージ・W・ブッシュの命令で終身刑に減刑。2001年に獄中での心不全により64歳で生涯を閉じた。 ■連続殺人鬼の奇妙な日常を描く『ヘンリー』 獄中から捜査に協力したことから『羊たちの沈黙』(91)のレクター博士のモデルの一人とも言われるなど、センセーショナルな存在ゆえに、Netflixシリーズ「コンフェッション・キラー: 疑惑の自供」など多くのメディアで取り上げられてきたヘンリー。 マイケル・ルーカーがこの実在の殺人鬼を演じた『ヘンリー』は、相棒オーティス・トゥール(トム・トールズ)とその妹ベッキー(トレーシー・アーノルド)との日常を描いている。虐待を繰り返した母を殺害して以来、殺人衝動が抑えられなくなっているヘンリーは、殺人を重ねながら、刑務所で知り合ったオーティスとの共同生活を送っていた。そんななか、夫の暴力から逃げてきたオーティスの妹が生活に転がり込み、3人での奇妙な生活がスタートする。やがて、寡黙なヘンリーにベッキーが惹かれだしたことから3人のバランスが崩れていき…。 本作は、ベッキーがオーティスの姪から妹に変わっていたりと史実と異なる部分も多いが、表情一つ変えずに過ごすヘンリーの作業のような殺しなど冷徹な日常が淡々と積み上げられていく質感に、リアリティすら覚える。殺害や流血といった直接的な暴力シーンがあまり多くないにもかかわらず、1986年にシカゴ国際映画祭で一度上映されてから4年間お蔵入りになっていたということからも、いかに恐ろしい作品かを証明している。 数百件もの殺人について虚言を繰り返した一方で、実際に人の命を奪ったことは揺るがないヘンリー・リー・ルーカス。映画『ヘンリー』は、神話化された“600人殺し”ではなく、一人の殺人鬼の不気味な日常を描き切った異色作であり、事件の真相を知ったうえで観れば、その恐ろしさがよりいっそう際立つはずだ。 文/武藤龍太郎