歌舞伎町ビル火災25年 娘2人亡くした植田安子さん 「死を無駄にしてほしくない」

「もう25年が過ぎたのか」。歌舞伎町ビル火災で2人の娘を亡くした植田安子さん(74)は時間の流れに思いをはせる。5年前に「気持ちの区切り」として2人の遺品整理を始めたが、今も悲しみは変わらない。 火災で亡くしたのは、長女の愛子さん=当時(26)=と次女の彩子(さいこ)さん=同(22)。姉御肌だったという愛子さんと、ひょうきんな性格だった彩子さんは仲が良く、当時は2人で暮らしていた。突然の訃報にふさぎ込む日々が続き、毎晩のように2人の写真を抱えて涙を流した。 火災後は月命日に現場を訪れ、手を合わせてきた。「周囲の視線が辛かった」と、花を手向けるとすぐに帰っていたという。それでも、不思議と「2人がいそうな気がする」と訪問を続けた。 現場での献花は、高齢による体力低下もあって近年は年1回に減った。火災があった9月1日を迎えると「また1年頑張ろう」と思い、「1年はあっという間」という。 今年も8月31日の夜に現場となったビルがあった場所へ献花のために訪れた。44人が亡くなったことから4400羽の鶴を1人で折って供えた。「今年も来られてほっとしている」と胸をなでおろす。 出火原因は25年たった今も判明していない。「原因をずっと考えてしまうが、今さら調べて分かるのか」と嘆く。生前、愛子さんが「建物の階段は荷物でいっぱい」と話していた言葉を思い出し悔やむ。 遺品の処分を始めたが、現在でも形見の財布は持ち続け、愛子さんの携帯電話番号を引き継ぎ、2人を思い出さない日はない。火災の報道を見るたびに強く思う。「2人の死を絶対に無駄にしてほしくない」(梶原龍) 歌舞伎町ビル火災 平成13年9月1日午前1時ごろ、東京都新宿区歌舞伎町の地上4階、地下2階建て雑居ビル「明星56ビル」3階エレベーターホール付近から出火。3階のマージャン店と4階の飲食店計約160平方メートルが焼け、3~4階にいた計44人が一酸化炭素中毒などで死亡した。 自動火災報知機のスイッチは切られ、3階の防火戸は看板やビルの階段に置かれたビールケースなどでふさがれ、作動しなかった。火災を契機に14年に消防法が改正され、消防の立ち入り検査の時間制限と事前通告が撤廃されるなどした。

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