なぜ陸軍はアラグアイアで、これほど秘密裏にゲリラ掃討作戦を作戦を繰り広げていたのか。背景には、1964年の軍事クーデター後、ブラジル国内の地方農村部で武装闘争が広がることへの軍の強い警戒があった。アラグアイアでは、共産党系のブラジル共産党(PCdoB)が1960年代後半から農村住民に紛れて活動し、中国の毛沢東思想に影響を受けた「長期人民戦争」による社会主義革命を目指していた。 軍は、こうした動きが農村部の各地に波及すれば、軍政そのものを不安定化させる恐れがあるとみて、対ゲリラ戦の研究や訓練を進めていた。1972年にゲリラの存在を把握すると、陸軍は複数回の作戦を展開した。 一方、政府は作戦の存在自体を国民に知られないよう情報を統制し、アラグアイアの戦闘は長く「秘密の戦争」となった。こうした情報遮断が、現地で何が起きているのかを住民や外部の人々が把握できなかった一因だった。 だから、松村さんも勤務先の鉱山会社も、その実態を知らないまま現地で探鉱調査を続けていた。1972~75年に連邦軍に殺害されたゲリラの遺体が秘密裏に処理されたとされ、ゲリラの中には日系学生もいた。 ある夜、ようやく探鉱調査を終えて、一息ついて街へ向かっていた松村さんは突然、街道で機関銃を構えた約30人の兵士に取り囲まれた。もし当時、アラグアイアのゲリラ戦の存在を知っていれば、「死を覚悟した」と振り返る。