阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。阿川さんのお父様が七十歳になったとき、家族を集めてある宣言をしたんだそうで——。※本記事は『婦人公論』2026年9月号に掲載されたものです* * * * * * *父が七十歳になったとき、家族を集めて宣言をした。「俺は今後いっさい、我慢をやめる!」決意に満ちたその顔を見て、集められた家族は一様に顔をゆがめた。笑いをこらえるためである。今までお父ちゃんは我慢していたのか。とてもそうは見えなかったからである。自宅で原稿の締め切りと闘う毎日だったので、ほとんど一日中、機嫌が悪い。子どもが少しでも騒ごうものなら、「静かにしろ!」と怒鳴り散らし、ちょっとでも口答えをすると、「誰のおかげでこの家に住めると思っているんだ。嫌なら出て行け」と憤る。そもそも子どもに人権はないと言い渡されていた。養われているうちは、たとえ理不尽だと思っても、親の言うことを聞け。それが父の言い分だった。今なら逮捕されるところだ。もっとも父は自分が持ちであることをじゅうぶんに自覚していた。この性格は直らない。だからお前たちもしかたがないと思って諦めろと、最後には開き直る始末である。しかし、父は自分のわがままが外でも通用するとは思っていなかったようだ。だから父は父なりに家の外では我慢をしていたのだろう。亡くなったあと、あちこちで言われた。「お父様にはずいぶん優しくしていただきました」「いつもニコニコしていらして、たくさん教えていただきました」そう言われるたび、私は、「どこが!」と仰天した。いったい父のどこが優しかったのか。たしかに父は外でいい顔をする傾向があった。家族はそんな父を密かに「」と呼んでいた。多少、イライラすることがあっても、グッとこらえて穏やかに見せかける。そのぶん、家に帰ったとたんに反動で爆発した。そして家族は、ちょっとしたきっかけで、「出て行け!」と怒鳴られるはめになったのだ。