選挙における交流サイト(SNS)の存在感が増している。SNSで支持を広げた候補者や政党が躍進する一方、SNS上では真偽不明の情報が氾濫し、誹謗(ひぼう)中傷も後を絶たない。有権者はSNSとどう接するべきなのか。専門家に聞いた。 最近の選挙報道などが「新聞、テレビ対SNS」の枠組みで語られることに違和感がある。リテラシーという言葉で「情報の価値を見極めよう」という呼びかけがあるが、それは情報の中に真贋(しんがん)があって成立する話。SNSには「真」がほぼないので、既存メディアと対比はできない。 X(旧ツイッター)は、興味や関心を引くことが金につながる「アテンション・エコノミー」の色が強まっている。昨年の兵庫県知事選では、注目されるのを狙ったような確認のしようがない言説が出回った。デマとも断定できないので真偽不明となるわけだが、本来なら論評に値せず削除されるべきものがXではそのまま残る。言ったもの勝ちの世界だ。 もちろん真実を投稿している人もいるが見つけるのが非常に困難。「SNSは玉石混交」といわれるが、玉を探すのはものすごく難しい。危惧するのは、投稿情報の質が落ちていることに使う側が気付いていない点だ。 それに一役買ってしまっているのが他ならぬ既存メディアだ。情報リテラシーを掲げ「見極めろ」と言うから受け取る側は「探せば本当のことや価値のある情報がある」と考えてしまう。そうして探せば探すほど根拠不明な情報に行きあたってしまう。そもそもXは情報というより投稿者の主張、意見の表明が目立つ。有権者が投票行動の参考にできるような価値ある情報はないという前提で接した方がよい。 ただ、既存メディアを信じない人たちはSNSに情報を求めるし、真偽を問わず喜々として受け入れる。兵庫県知事問題を巡って誹謗中傷を受け、亡くなった元県議が「逮捕される予定だった」などとした政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志氏の発信は分かりやすい例だ。 県警本部長が強く否定したが、立花氏を信じたり既存メディアを疑ったりしている人たちにとっては関係ないのではないか。むしろ「本部長に言わせるほどの存在がいる」などと自分にとっての正しいストーリーを作ってしまう。