武装した兵士たちが韓国国会の窓を割って飛び込んだあの日の記憶がまだ生々しいのに、今度は暴徒たちが裁判所の窓を割って令状担当判事を捕まえようと暴動を起こした。その姿を見た人々の心境は惨憺たるばかりだ。戒厳、弾劾、そして逮捕につながる騒々しさの中でも、憲法的体系によってこのすべての混乱がまもなく正常に戻るという期待とは裏腹に、今回の1月19日の暴動は、韓国の民主主義がこれまでどれほどずさんで危ういものだったかを、全世界に中継した場面だったのかも知れない。残念ながら今回の裁判所の暴動が私たちに教えてくれたのは、今回の内乱が簡単には終わらないという点だ。内乱の首謀者を捕まえたとしても、大統領選挙で新しい大統領を選んだとしても、この民主主義の危機はそう簡単には消えない。これまで民主主義のモデルになる国というプライドは、もしかしたら内部で膿んでいく姿を輝かしい「K-〇〇」という外見で隠していただけではないのか、自問すべき時だと思う。 民主主義が危機を迎えているのは韓国だけの出来事ではない。すでに多くの政治学者は、2000年以降民主主義の崩壊と権威主義の復活が世界的に広がっていると警告しており、その最大の理由を1990年代以降に進められたグローバル化と繰り返される金融危機などの経済的問題に求めた。経済的困難が深まるほど社会的対立が増幅し、これは従来の民主主義政党体系では対応が難しいレベルの軋轢の噴出につながった。加重される経済的二極化の中で、伝統的な階級間の対立をはじめ女性や難民に対する嫌悪(ヘイト)が広がることが、世界各国で権威主義に対するノスタルジーと政治的過激主義を作り出したということだ。結局、韓国民主主義の危機もこのような流れの中にある。特に私たちは1990年代以後、米国と共に世界で最も急激に所得の二極化が進んでいる国であり、これは教育の機会や文化的享有の二極化など、社会全般の亀裂的構造へと固着化している。このような構造的不均衡が作り出した亀裂に付け込んだのが、まさに今回の暴動の主役たちといえる宗教的異端主義者たちと、中国や女性に対する嫌悪主義者たちの連合で構成された政治的過激主義者たちだと言える。 朴槿恵(パク・クネ)弾劾政局と違って、今回はかなり多くの若い世代が弾劾反対デモに参加し、彼らが暴動を主導したという点は、私たちの未来に対してさらに多くの懸念を抱かせる。「尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の拘束に反対」を叫んだり、不正選挙疑惑を主張する彼らの声は、混乱の時間が過ぎると落ち着くかもしれないが、現在の社会構造に対する彼らの敗北感と反感はそう簡単には消えないためだ。暴動を起こした主導者を断罪することは重要だが、これとは別に、怒りに満ちた政治的過激主義者を培養した韓国社会の構造をどのように変えるかは、韓国の民主主義を守る上で重要な課題だ。 今後は、正常な民主主義体系と過激主義者の主張をどのように絶縁させることができるのか、方法を模索していくのも当面の課題だ。『民主主義の死に方』の著者スティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは、政党が過激主義者たちと絶縁できないことが現在の危機のの最も大きな原因だと指摘する。これは現在の韓国社会にもぴったり当てはまる話だ。付け加えると、政党とともにマスコミの責任も重大だろう。過激主義者の主張をそのまま引用して伝えたり、両者ともに非があるとしてあたかも(極端主義者たちの主張が)正常であるかのように装うマスコミの慣行的または政派的な行動が、まさに民主主義の危機を拡散させる主な通路になりうることに注目し、マスコミ自ら新たなルールを模索しなければならない。実際、民主主義制度は万能の人工知能(AI)ではない。すべてが牽制とバランスの原理の中で隙間なく織り込まれており、いかなる困難があってもこれを突き破って民主的合意と最善の真理に到達するという期待は、望みであって、少なくとも私たちの現実ではない。あらゆるゴミを詰め込んでおいて、民主主義の公論の場で花が咲くと期待することはできない。むしろ、私たちが現実で気づいているのは、民主主義が作動する細くて狭い道は自ずと作られ、与えられるのではなく、陶磁器を作り出すように細心の注意と努力で作られるということだ。韓国のマスコミが節制と断固とした態度で道を探すことを願う。 ホン・ウォンシク | 同徳女子大学ARETE教養大学教授(お問い合わせ [email protected] )