吉展ちゃん誘拐殺人事件は1963年3月31日に東京都台東区で起きました。被害者はまだ4歳だった村越吉展(よしのぶ)ちゃん。この事件は、日本で初めて報道協定が結ばれたケースとして有名になりました。(アーカイブマネジメント部 疋田 智) ■身代金は50万円 吉展ちゃんは自宅近くの公園で遊んでいたところ行方不明になりました。当初、両親は迷子になったと考え警察に通報しましたが、4月2日に犯人から身代金50万円を要求する電話が入り、身代金誘拐事件と分かったのです。 犯人は電話で身代金の受け渡し場所を頻繁に変更するなど警察を翻弄しました。4月7日、母親が指定された場所に身代金を置き、犯人はそれを持ち去りましたが、吉展ちゃんは戻りませんでした。 ■捜査はきわめて難航 現金を持ち去った犯人の行方は、ようとして分かりませんでした。 警視庁捜査一課の特捜班は犯人の声を録音し、テレビやラジオで公開するなど、当時としては革新的な捜査手法を取り入れました。 これらの取り組みから事件は国民的な関心を集め、多くの情報が寄せられたのです。 捜査は難航しましたが、地道な捜査の結果、小原保容疑者(当時32歳)が捜査線に浮かび、1965年7月4日、同容疑者は営利誘拐および恐喝の容疑で逮捕されました。 ■自供通りに遺体が 警察は小原容疑者が愛人に与えた金の出所などを追及したところ、小原容疑者は犯行を自供。吉展ちゃんを誘拐した当日の夜に殺害し、荒川区南千住の円通寺境内に遺体を遺棄したと述べました。 7月5日、かけつけた父親の前で、警察は同寺院の敷地を掘り返したところ、境内で白骨化した吉展ちゃんの遺体を発見したのです。 動機は借金など。2年3か月ぶりの事件解決でした。 ■吉展ちゃん地蔵尊が今も 吉展ちゃんの葬儀は報道陣などの注目を浴びる中、大規模かつしめやかに執り行われました。小原保被告は1968年に死刑判決を受け、1971年に刑が執行されました。彼は獄中で短歌を詠むなどの活動を行っていましたが、最終的には法の裁きを受けることとなりました。