12・3内乱の「黒幕」とされるノ・サンウォン元情報司令官の手帳に書かれた内容の中には、非常戒厳当時に実際に施行されたものも少なくない。昨年の総選挙前から作成されたとみられる手帳の中の計画が実行されたことを考えると、いわゆる「反対派の収集・回収」計画をノ元司令官個人の妄想や空想と片付けることはできない。メモの作成過程で誰に指示されたのか、内乱の首謀者である尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領とナンバーツーのキム・ヨンヒョン前国防部長官と緊密に話し合ったのかについても、捜査が必要とみられる。 ハンギョレが確保した70ページにわたる「ノ・サンウォン手帳」では、国会がある「汝矣島(ヨイド)封鎖」が重要視されている。「汝矣島(を)待ち伏せして占領」し、「進入路を封鎖」し、「垣根を防護」し、「弁当」を「用意」し、「封鎖期間(を)2~3週間」にするという細部計画が立てられている。実際、12・3非常戒厳当時、軍が国会に出動し国会の権能無力化を試みたことが違憲・違法な内乱行為とされるが、「ノ・サンウォン手帳」には国会の無力化計画が具体的に書かれている。検察の捜査の結果、実際に非常戒厳の宣布直後、国会には武装した軍兵力678人と警察1768人が動員された。首都防衛司令部兵力の国会への出動も手帳に出てくる内容だ。手帳には「警戒兵は首都防衛司令部の兵力を活用(一部汝矣島制圧)」と書かれているが、首防司は実際に非常戒厳当時、国会の統制を指示された。 手帳に書かれていた「回収チームの構成」項目は、実際に主要人物の逮捕の試みにつながった。「回収対象リスト」が実際に作成され、キム・ヨンヒョン前長官がヨ・インヒョン前国軍防諜司令官に渡し、このリストはホン・ジャンウォン前国家情報院第1次長、チョ・ジホ警察庁長、防諜司令部の逮捕組にも伝えられた。「警察の活用案」はチョ・ジホ警察庁長とキム・ボンシク前ソウル警察庁長をソウル三清洞(サムチョンドン)の安全家屋に呼び、非常戒厳と関連する指示を下すかたちで実行された。尹大統領が自ら渡した一枚の文書には、国会や最大野党「共に民主党」本部、中央選挙管理委員会など掌握すべき対象機関10カ所が記されており、尹大統領は非常戒厳宣布後、チョ庁長に6回にわたり電話をかけ、国会議員の逮捕を指示した。また、非常戒厳当時、防諜司は警察側に政治家など主要人物の逮捕組に対する支援と、合同捜査本部の構成に必要な捜査官100人の支援を要請した。 手帳には戒厳を指揮する合同参謀本部の指揮所を京畿道果川(クァチョン)に構成する案も示されているが、ここで「パク氏は指揮所を設置」という内容が登場する。「パク氏」とは、非常戒厳当時に戒厳司令官を務めたパク・アンス陸軍参謀総長を意味するものと推定される。(上官の)キム・ミョンス合同参謀議長ではなく、パク総長が早くから戒厳司令官に指名されたとみられる内容だ。また、手帳にある「パク・アンス」の役割は「鶏龍台(テリョンデ):収集場所、戦闘組織支援」と明記されている。ヨ・インヒョン前防諜司令官の役割は「実行人員指定、回収名簿作成」となっている。実際、ヨ前司令官は非常戒厳当日、逮捕者リストを国情院と警察に伝えた。 「市民が不便を感じないようにする」という手帳の内容は、内乱失敗後「内乱ではなかった」という尹大統領側の抗弁とも一致している。尹大統領は11日、憲法裁判所の弾劾裁判で「国民に軍兵力が抑圧や攻撃を加えた事実は全くない」と強調した。また、キム・ヨンヒョン前長官が作成した布告令草案で、尹大統領が夜間通行禁止条項を削除したとも主張している。 警察庁国家捜査本部非常戒厳特別捜査団は先日、国立科学捜査研究院にこの手帳を送り、ノ元司令官が書いたものなのか筆跡鑑定を依頼したが、「鑑定不能」の判定が出た。これに先立ち、ノ元司令官は警察の調査過程で「キム・ヨンヒョン前長官に言われた通りメモした」と陳述したという。手帳の内容がいつから誰の指示でどのような経緯で作成され、誰に報告されたのかについて捜査が必要な状況だ。ノ元司令官は検察でも供述を拒否しており、追加捜査は難航している。ノ元司令官側は手帳のメモの意味を法廷で疎明する意向を示しているが、法廷でのノ元司令官の陳述が今後の捜査の糸口になるものとみられる。検察関係者は「ノ元司令官は拘束されて以降、一切の陳述を拒んでいる」とし、「疑惑全般に対する実体的真実を糾明するため、手帳のメモなどに対する捜査を引き続き進めている」と述べた。 ペ・ジヒョン、チョン・ヘミン記者 (お問い合わせ [email protected] )