現れた男性は意外と細身だった。フードファイターの小林尊(たける)(46)である。 「引退してだいぶ増えましたが体重は68㎏、身長は173㎝です。現役時代の体脂肪率は14%を切っていました」 昨年9月に引退し、今後は「フードファイトを単なる大食いではなくスポーツにする」活動をしたいと語る小林。ニューヨークで毎年7月開かれる『ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権』で’01年から6連覇し、『ニューズウィーク』誌で「世界が尊敬する日本人100人」にイチローらとともに選ばれるほど米国では超有名な人物だ。そのストイックな半生を、本人の言葉で振り返ろう――。 キッカケは小林の学生時代にある。 「大学近くのカレーチェーン店で、1300g食べたらタダになるというチャレンジメニューがあったんです。それまでの日本記録は5000g。100g増量して5100gの新記録に挑戦したら、制限時間20分ギリギリの19分40秒で食べ切ることができました」 これを知った当時の交際相手が、テレビ東京で放送されていた『TVチャンピオン』の大食い選手権へ勝手に応募。’00年11月、小林は出場することになる。 「北海道の食材を食べる大会でしたが、初出場の僕が優勝してしまったんです。ヤル気になりましたね。なんの準備もなく出場して勝てたんです。鍛えたらもっと強くなれるはずだと確信しました」 ◆「本気で戦っています」 小林は、たちまち当時流行していた大食い番組のスターになる。一方で、テレビ局の姿勢に疑問も抱くようになった。 「競技として真剣に取り上げてくれる番組もありましたが、大食いをお笑いととらえるテレビ局も多かったんです。食材の提供をわざと遅らせ、とまどうフードファイターたちの態度をチャカしたり……。僕たちは本気で戦っています。笑いに変えられるのは複雑な気持ちでした」 さらに’02年4月に決定的な事件が起きた。愛知県内の中学生が、同級生と給食の早食い競争をしてパンを喉(のど)に詰まらせ亡くなったのだ。大食い番組は、激しい批判にさらされ中止を余儀なくされる。 「番組が次々に無くなったこともあり、活動の軸足を米国に移しました。(冒頭で紹介した有名な)『ホットドッグ早食い選手権』に’01年から参加していたため、そこを拠点にしたんです」 小林は人気の同選手権で、’06年まで6年連続で優勝。米国でも一躍有名人になる。ところが……。 「『ホットドッグ選手権』は7月4日の米国独立記念日に行われます。愛国心をかきたてられる特別な日に外国人が優勝して、おもしろくない米国人も多かったでしょう。保守的な地域を歩いていると、ビール瓶を投げつけられたり『日本へ帰れ!』と罵声(ばせい)を浴びたこともあります」 さらに’10年には『ホットドッグ選手権』の運営団体が、メディア出演を制限するなど契約を厳格化。小林が反発すると、選手権に出られなくなった。 「運営団体は『小林は出ない』と、一方的にプレスリリースを出しただけ。まるで僕に問題があるようなイメージです。それで後に結婚する妻のマギーや支援してくれる人たちと相談し、選手権当日に彼らが僕の姿を隠しながらステージへ。自分の言葉で真実を訴えようとしたんです。『小林に食べさせろ!』と、ずっと叫んでくれる観客もいました」 小林は警察官に取り押さえられ、不法侵入などの容疑で逮捕される。裁判所の判断は罪に問わず6ヵ月の保護観察処分。『ホットドッグ選手権』に見切りをつけ、米国から活動の場を世界へ広げる。1年のうち2〜3ヵ月は大会に出場していたという小林のトレーニング法は独特だ。 「大会の3〜4ヵ月前からトレーニングを始めます。大切なのは胃の容量を大きくすることです。まず5Lの水を30分ほどかけて飲み、徐々に量を増やし時間を短くしていく。最終的には12Lの水を90秒で飲めるようにします。トレーニング前は5㎏ほどだった胃の容量を、大会前には13㎏以上にしていました」 口や喉の力の向上にも力を注(そそ)いだ。 「噛(か)む力を鍛えるためには、カチンカチンに凍ったパンを食べていました。吸引力を強化するために、ドロッとした液体をストローで飲む。口の力を強めるには、舌に押しつけたスプーンを持ち上げていましたね。練習のおかげか、大食いを25年以上続けていますが幸い大きな身体の不調を感じたことはありません」 だが、’20年代に入るとコロナ禍の影響で大会が開催されなくなる。小林の年齢も40歳を超えていた。 「大会が減り実戦感覚が落ちたせいか、コロナ禍が明けても食材が簡単に喉を通らないようになっていました。年齢的な衰えもあったのかもしれません。何より、自分を追い込めなくなった。トレーニングをしていても、ケガをしたらどうしようと弱気な気持ちが出てきたんです。ストイックさがなくなったらフードファイターは終わり。引退を決意しました」 伝説のフードファイターは、現役を退きどうするのだろうか。 「大食いをスポーツとして認めてもらうために、自分の経験を活(い)かしたい。練習法などを伝え、若いフードファイターたちが活躍できる大会を作りたいです」 いま小林は妻のマギーさんと一緒に住む京都で、第二の人生について具体的なプランを練っている。 『FRIDAY』2025年3月7日号より