なぜ国軍防諜司令部(防諜司)は12・3内乱などのクーデターの度に登場するのか。この問いの答えは、防諜司の前身である国軍機務司令部(機務司)時代のウェブサイトに見出せる。 「部隊の60年の歩みから分かるように、自由民主体制守護の尖兵であり、国家安保の最後のとりでであるとの使命感を持ち、国家と民族の安危のために『為国忠誠の道』を堂々と歩んでこられたのは、部隊員の胸に脈々と受け継がれる『絶対忠誠』という部隊精神があったからです」 当時の機務司のウェブサイトは、「絶対忠誠」が部隊精神だと説明していた。機務司は軍事安保支援司令部(2018年9月~2022年10月)、国軍防諜司(2022年10月~現在)へと部隊名が変更されたが、絶対忠誠という部隊精神は変わらなかった。 絶対忠誠の対象は誰だろうか。そもそも、軍人の忠誠は国家と国民に対するものだ。しかし当時の機務司のウェブサイトは、「軍の統帥権者に対する絶対忠誠」と述べている。防諜司が12・3内乱時に政治家の逮捕にあたったたのは、大統領に対する絶対忠誠がこの部隊の遺伝子(DNA)だからだ。 防諜司は保安、防諜、身元調査、軍内動向の監視などを担っている。防諜司の公式な任務にはないが、「統帥の補佐」が最も重要な任務に数えられる。統帥補佐は、大統領が軍の統帥権を円滑に行使できるよう、大統領の目となり耳となることを意味する。統帥補佐は絶対忠誠という部隊精神にその根がある。 防諜司は1979年の12・12軍事反乱、民間人査察、政治介入、朴槿恵(パク・クネ)政権時代の戒厳令文書問題など、脱法と物議の中心にあった。防諜司の前身である特務隊は、1950年代から国内政治への介入を本格的に開始している。1952年、李承晩(イ・スンマン)大統領は度重なる失政で国会の信頼を失い、制憲憲法の国会間接選挙では大統領への再任が不可能になった。李大統領は1952年5月25日に非常戒厳を宣布し、国会議員の通勤バスをクレーンで憲兵隊に連行し、彼らを逮捕した。最終的に大統領直選制へと改憲し、李大統領は1952年8月5日に再選に成功した。1952年5月の非常戒厳令宣布から7月の直選制改憲に至るまでの、朝鮮戦争中の臨時首都だった釜山(プサン)で起きた一連の政治的混乱は、「釜山政治波動」と呼ばれる。 釜山政治波動で非常戒厳宣布の口実となったのは、釜山の金井山(クムジョンサン)の共匪(共産軍)事件だった。非常戒厳宣布の前日の1952年5月24日、金井山に北朝鮮軍と見られる武装兵力が現れた。臨時首都の釜山に北朝鮮軍が現れるほど安保が危険にさらされているとの理由で、李承晩政権はその翌日、非常戒厳を宣布した。 この時、李承晩政権に抗して拘束された国会議員のソ・ミンホは、後に金井山の共匪事件はねつ造だったと証言した。「特務隊長のキム・チャンニョンは、大邱(テグ)刑務所の囚人たちを選び出し、共産軍に偽装させ、釜山の金井山に現れさせてショーを行い、彼らを射殺した。李承晩は待っていたかのように釜山地域一帯に戒厳令を宣布した」。特務隊の工作に支えられ、李承晩大統領は釜山政治波動という親衛クーデターを起こし、再就任に成功した、との主張だ。昨年12月以降、韓国社会が慣れ親しんできた非常戒厳、親衛クーデター、国会議員逮捕、北風工作といった単語は、すでに1952年の釜山政治波動で登場している。主役が特務隊(防諜司)だったという点も類似している。 1990年10月には、防諜司の前身である国軍保安司令部(保安司)に所属するユン・ソンニャン二等兵が、保安司が戒厳令宣布に備えて反政府人士のリストを作成していると暴露した。保安司が金大中(キム・デジュン)、金泳三(キム・ヨンサム)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の各元大統領、キム・スファン枢機卿を含む政治家、労働界、宗教界、在野の民間人ら1303人の動向を把握し、管理してきたことを示す個人査察カードが公開されると、韓国社会は騒然となった。戒厳が宣布された際に彼らを逮捕するために、普段から動向を把握していたのだ。個人査察カードには自宅の塀の高さ、予想される逃走路、隠れ家まで記録されていた。 保安司による軍人ではない民間人に対する違法査察は、「清明計画」という親衛クーデター計画の一部だった。国防部過去事真相究明委員会は2007年に、「1989年に保安司は、政治的状況に応じて主要人物を予備検束するため、清明計画を立案し、運用していた」と明らかにしている。 防諜司が現代史のヤマ場の度に親衛クーデター、主要人物の逮捕のような状況に絡んでくるのは、歴代の権力者から「口の中の舌」のように振る舞えという要求があったからだ。防諜司の力は、最高権力との直接取引から生じる。かつて、保守系の大統領が政権を握れば、防諜司は直属の上官である国防部長官を差し置いて大統領と直に面談してきた。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は昨年からヨ・インヒョン防諜司令官らと数回にわたって夕食会を開き、戒厳に言及していたが、ヨ司令官はそのことをシン・ウォンシク国防部長官(当時)に報告していなかった。シン長官はこのことを知らなかったという。これは、国防部長官が国民を代表して軍を統制するという文民統制の枠組みにおいて、防諜司が「例外」となっていることを示している。 朝鮮半島平和フォーラムなどが先月17日に国会議員会館で開催した「クーデター防止! 軍の改革方策」と題する討論会で、世宗研究所のキム・ジョンソプ首席研究委員は、「強大な権限が防諜司1カ所に集中しており、国防長官らの省庁による統制からも外れている。防諜司の機能を分散し、けん制と均衡をどのようにしていくかを考える必要がある」と述べた。共に民主党のプ・スンチャン議員も同討論会で、「個人情報の確認や個人に対する不正な調査は、防諜司が行う理由がない。防諜司は機能を再調整しなければならない」と述べた。キム・ドギュン元首都防衛司令官も「右顧左眄(うこさべん)する時期は過ぎた」として「防諜司の解体が必要だ」と述べた。キム元司令官は「保安機能を専門的に扱える国防部や合同参謀本部の情報本部があり、軍の捜査を担える国防部調査本部組織もうまく機能している」とし、「防諜司の専門家を機能によって別部隊に移しても、大きな問題はないだろう」と語った。 クォン・ヒョクチョル記者 (お問い合わせ [email protected] )