12歳の少女が見た昭和44年 「全共闘の学生はなぜ勉強しないの?」私の義兄は機動隊 プレイバック「昭和100年」

<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。> 14歳離れた私の兄は警視庁で機動隊をしていて、最近は生傷が絶えない。激しくなった全共闘の学生たちとの応酬で、ゲバ棒という棒で殴られたり、ヘルメットをかぶっていても投石が目に飛んで来たりすることもあるそうだ。 1月には、去年から続く東大安田講堂のバリケード封鎖にようやく機動隊が突入して、その後の東大入試も中止になった。「兄ちゃん、東大受けようかと思ってたけど、受けられなくなったな」などと冗談を言っていたが、実際には相当腹が立っていたようだ。 兄は特に理数系の成績がよく、本当は大学に行きたかったが、うちにはそんなお金は無くてあきらめたからだ。周りにもそうした隊員は多く、「勉強させてもらっているのに、なんで勉強しないんだ」と仲間同士で話しているという。 実は兄とは義理の兄妹だが、昔からとても仲がいい。兄の本当の父親は戦争で亡くなり、その弟である私の父と母が再婚して生まれたのが私だ。私の父もシベリアに長く抑留されていて片足がない。終戦直後は2人とも苦労したらしいが、兄が私と同じ12歳の時に喜んで再婚を受け入れたこともあって、今の私たち家族があるのだ。 だから父も母も、まるで戦争のような兄の仕事をとても心配している。日大では頭にコンクリート片を落とされて死亡した隊員もいたし、一生の障害が残るけがをした隊員もいるという。機動隊員にも家族がいることぐらい、なんで大学にまで行った頭のいい人たちがわからないのか。 一方で去年、京都などで4人が射殺された事件の犯人が4月に逮捕されたが、永山則夫という19歳の少年だった。普通は未成年者の名前は新聞などに出ないのに、それほど凶悪な事件ということだろう。 永山少年は北海道の8人きょうだいに生まれて、とても貧しかったようだが、犯罪は別だ。逆に全共闘の学生は大学に行けるほどお金持ちで勉強もできるのに犯罪のようなことをするのだから、家庭の環境はあまり関係ないと思う。 ■アポロ月面着陸

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